左派の「武勇伝おじさん」を黙らせた作家・雨宮処凛氏の“言葉”とは

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生きづらい世の中をなんとかしようと社会活動をしている人たちにとってやっかいなのが、左派であれ右派であれ、かつて活動家だった“武勇伝”豊富な「おじさん」たちの存在のようです。今回のメルマガ『佐高信の筆刀両断』では、評論家の佐高さんが、対談の著作もある作家で活動家の雨宮処凛氏との話を紹介。左派と右派の違いや、特に“うざったい”元左派のおじさんを黙らせた言葉を伝えています。

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左派と右派の間

作家で社会運動家の雨宮処凛は小中学生時代、イジメに遭い、リストカットなどを繰り返していた。すべては自分の責任と思い、悩みに悩んでいたのである。

それから曲折を経て右翼団体と接触する。当時、一部の若者の間で見沢知廉の『囚人狂時代』が熱狂的に支持されていた。見沢は左翼から右翼に転向し、右翼運動の中でスパイと疑われる人を殺して12年間獄中にいた作家である。

見沢に会った20歳の雨宮が生きづらさを訴えると、見沢にこう言われた。「そんなくだらないことで悩んでいるんだったら、こういう闘争(成田闘争とか)に目を向けてみろ。ショボいことで悩んでないで国家に喧嘩を売れ」

自分に怒りをぶつけてリストカットなどをして不毛だなと思っていた雨宮は見沢に、右翼でも左翼でもいいから会わせてくれと頼んだ。すると見沢は最初、左翼の活動家のところに連れて行ってくれたが、言っていることが難しくて全然わからない。

次に右翼の集会に行ったら、「物とカネしか価値観がないこの国で若者が生きづらいのは当たり前だ。いまの日本が狂ってるんだ。すべて戦後民主主義とアメリカが悪いんだ」と演説していて、これに感銘を受けた。

いずれにせよ、すべては自分が悪いのではなくて、社会にも責任があることを知り、自己責任の呪縛から解放されたものである。いわば社会を発見したのだった。

右派と左派で言えば、右派は修養とかで自己にこだわり、左派は社会に責任があると主張して、自己を忘れがちになる。容易に勝てない闘いを続けている左派は、自己を慰めなければやっていられなくなるのだが、それが自己満足とか自慢話とかにズリ落ちる。

雨宮と私には『貧困と愛国』(角川文庫)という対談があるが、非正規労働の問題等で発言することの多い雨宮は、最近は左派に入れられることが多い。

それで「自分こそが運動のやり方をわかっている」という武勇伝おじさんに会うのだが、「一言で言って、うるさい」と排斥していた。学生運動とか組合運動をやっていた昔のことをやたらに盛って話す面倒なおじさんで、いまは何もしていないのに、なぜか上から目線で「もっとこうしろ」などと勝手なことを言うのだという。

うざったいので「口を出すならカネを出せ」と言ったら、ある程度消えたが、それでも言う人には「口を出さないでカネだけ出せ」と言っているとか。運動にはカネがかかるからだ。

雨宮と話していて傑作だったのは、ある時、いまマルクスを読み始めていると言ったら、左派のおじさんたちにやたらにホメられたので、ホメられたかったらマルクスを読んでいると言えばいい、とアドバイスしたということだった。

面倒なことを言わずに抱え込んでくれた右翼と、こむずかしいリクツばかりいう左翼。多分、新右翼の鈴木邦男はそこに何とか橋を架けようとしていた…。

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image by: OurPlanet-TV, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

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