障害を社会学では「社会が生み出すもの」と捉えます。医学モデルでは「弱者のため」に「特別枠」を作りますが、社会モデルではそれをしません。前者では問題を「個人」に、後者はそれを「社会」に向けます。世界の動きは確実に後者です。
つまり、世界は「障害を生まない社会」で進行しているのに、日本はいまだに「障害者=弱者」と位置付け、個人の問題にし続けている。それは「共生社会」の実現を阻む壁を作ることであり、すべての人が秘める可能性の芽を摘むことになってしまうのです。
支援学級の子どもが通常学級に日常的に加わると、自然と子どもたちが障害のある子どもに寄り添うようになります。時には「手すり」となり、時には「翻訳機」となり、“傘”の貸し借りが当たり前の共生社会が出来上がります。
むろん、それを実現させるには、専門的な知識をもった人材育成を同時並行で進める必要がある。アメリカではすべての公立校に作業療法士や、スクールカウンセラー、言語聴覚士が配備されていて、チームとなって子どもを支援し、地域のボランティアが加わることも少なくありません。
また、ニュージーランドの小学校では、地域の人たちがボランティアとして参加し、専門知識を得る研修を受けたり、資格を取る人も多いと聞きます。就学猶予という制度もあるため、入学年度を遅らせる児童も多い。同じ学年でもいろいろな年齢がいて、この時点で「子どもにあった教育」の選択が可能なのです。
インクルーシブ教育とは、「バラバラだけど一緒」に過ごすこと。宝石箱のように、ダイヤやエメラルド、ルビーなどさまざまな石が、互いに関わることでキラキラと輝いていく。その根っこにあるのは、「みんな違ってあたり前」という価値観です。
いずれにせよ、日本の教員は、世界一過酷な労働を強いられているという現実もあるので、特別支援教育は教師の負担感につながるという問題もあります。
経済協力開発機構(OECD)の調査によれば、日本の中学校教員の56.7%が週60時間以上働いていて、イギリス28.9%、アメリカ22.0%、韓国7.8%、スウェーデン2.9%、フランス2.6%にくらべて著しく高いことがわかっています。平均値は、週59.3時間で、先進国で最も高い水準です。しかも、週の勤務時間59.3時間のうち、「授業時間」はたったの27.4時間。授業の割合は46.2%しかありません。
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