何かしらのアイデアを「思いついた」ら、それをすべて均等に「思いつき」として扱うこと。”下賎なもの”を切り捨てないだけでなく、”高貴なもの”を過剰に扱うことも避けること。それが「着想に特権性を認めないこと」という姿勢の意味です。
その意味で、着想を保存する装置(たとえばノート)では、すべてをフラットに並べてしまうのがよいでしょう。時系列にメモを取ると自然にそうなりますし、いわゆる情報カードに書き留めていくのも同じ格好なります。すべての粒度が同じ高さで揃い、特別な何かは生まれない(あるいは生まれにくい)のです。
もちろん、特別な何かが必要ないわけではありません。単にそういうものは、並べた「後」から見出されるものだ、という話です。そのプロセスを経ずに、ちょっとした思いつきでしかないものを「特別な何か」にいきなり昇進させしまうのは早計でしょうし、後からそのツケを払うことになるはずです。
■枠組みを揺さぶる
上で「特権性の剥奪」や「フラット」など、いかにもリベラルな言葉を使いましたが、最初に確認したように「私の着想」という時点ですでにある種の選別が働いている点は忘れてはいけません。一つの限定(特権領域)の中にいるのです──(メルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』2023年2月20日号より一部抜粋)
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