疲れたら飯食って寝ろ!精神科医が“食事=睡眠>>>>入浴”と考えるワケ

 

日本の風呂の歴史

日本の風呂!というと江戸の大浴場!とかを思い出すかもしれませんが、調べたら平安時代のお風呂事情が面白かったのでそっちを紹介します。

まず平安時代は水が今のように潤沢に使えません(今ほど大量の綺麗な水が使えるようになったのも近年ですしね……)。でもお洒落番長ばっかりいたっぽい平安時代(貴族だけにしても)、お風呂に入らないで臭かったら話になりません。しかし水がない。どないすんねん平安貴族。

答え:蒸し風呂に入る

蒸し風呂に麻の裏地のない着物(湯帷子[ゆかたびら]。今の浴衣[ゆかた]の語源)を着て入り、座ります。座布団状態にするところには風呂敷の語源になった布を敷いていました。そこでガンガン汗をかいて、浮いてきた垢をゴリゴリ落として終わりです。

……頭痒くならんのかなこれ。

平安貴族といえば髪が命!ですよね。命はどないしとったんや!?というと米の研ぎ汁でツヤツヤにしていました。幼い頃にお雛様を見て「こんなガチガチの頭、どうやってたんやろ……」と思って見ていましたが余裕で天然の皮脂でガチガチになりそうですね……。

一応湯殿という装備もありましたが、これにはつかりません。お湯を汲んでザパーっとかける湯浴みという行為をする場所でした。湯浴みは因みに「体を綺麗にする行為」ではなく「身を清める行為」です。同じじゃないの?違います。身についた穢れ(けがれ)をお湯で流す行為です。

穢れをずっと身にまとっているのはとても危険な行為とされていました。昔は長距離航海の時には一回も垢すりをしないでその身に穢れをまとい続けることで船の厄災を一手に引き受ける仕事もあったくらい汚れ=やべぇ厄災感覚はあったようです。

なお、穢れを落とす日(=湯浴みをする日)を決めるのは全部占いです。当時は陰陽師の日々の占いが社会の全てを決定していました。めざましテレビの占いなんてどうでも良いレベルです。毎日陰陽師が上級貴族を占い、行ける方角も全部決めました。なので下手な方向に禁忌が出たりでもしたら出勤すらできません。

爪を切るのも髪の毛を切るのも全部陰陽師の許可が必要です。なぜなら爪にも髪の毛にもその人の霊力が宿っているからです!陰陽師からちゃんと指示を受けた日に切らないと危険ですよ!運が悪いといつまでも切れません!めっちゃ不便やん

一応まぁでもこんな世界ですけれど、平安時代の辛口女流コラムニスト清少納言も「あの人の着物の襟首めっちゃ垢ついてるやんwプププw」とか書いて残してるので(こう考えたらデジタルタトゥーも真っ青な残り方ですね)垢が着物についたりしてるのはNGだったのでしょう。金持ちでおしゃれな上級平安貴族は垢がつく前に着物を下賜(下の身分の人にタダであげること)してたでしょうし、とてつもないディスり方です。怖~。

あとは雅でオシャンなお香文化も蒸し風呂しか入れない貴族社会では発達せざるを得ませんでした。臭けりゃええ匂いで誤魔化したったらええねん!の思考です。

因みにこんな日本のことを周辺諸国(今の中国当たり)は「風呂に入りすぎてて国民全員が潔癖で怖い」みたいに書いていた記録も残っています。

だから?毎日風呂なんて入ってる方がおかしいんですよ多分。

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