一方、世界では、最古の新石器文明とされているのが古代シュメール文明で、これがおよそ8,000年前です。ということは、日本では、世界最古の文明よりも、さらに3万年も昔に、一定の文明を持っていたということになるわけです。
使われていた船は、葦舟です。そう断言できるのは、まだ大木を伐るだけの道具がなかった時代だからです。そして葦船は、足になる船でもあります。我々の祖先は、船を足にして、大海原をどこまでも航海していった…そんな時代があったのです。
なにしろ、まだ国境なんてない時代です。それに、特定の魚を獲ろうとすれば、その魚が捕れる漁場まで船で行かなければなりません。考えてみてください。特に大型の魚は、回遊といって、大洋を海流にのって大きく巡回しています。そんな魚たちを追って、人々はどこまでも船で旅をしていたと考えられるわけです。
人類が、こうして海での生活から始まったとするならば、人類が世界に広がったのも、はじめは海からだったと考えられるわけです。そしてそうなると、ミトコンドリア・イブさえも、もしかしたら、はるか太平洋の西の果てにある島から、アフリカまで移動して行った人々であったのかもしれない、というふうにも考えられるわけです。
そもそも、日本列島に文明が渡来してきたというのなら、逆に日本列島から文明が世界に広がっていったのだ、という逆もまた真として成立します。
そして日本から出ていった人々は、何十年もかけて、また日本に舞い戻る。それはまるで、盆と正月に田舎に帰省するのと同じです。
ユダヤ人渡来説なんていうものもありますが、日本から出ていった人々が、遠くイスラエルあたりに文明を授け、その地域の人々と交わって、いつの日か、また日本に戻ってくる。
そんなことが繰り返された結果、日本人にはユダヤ系にしか見えないような人種的特徴を持った人がいたりすることになったと考えると、いろいろなものの辻褄があってくることになります。
物事を考えるときは、ひとつの定説にこだわらずに、水平思考していくということも必要なのではないかと思います。
日本をかっこよく!
ではまた来週。
この記事の著者・小名木善行さんのメルマガ
image by: Shutterstock.com