「トイレで女性が襲われる」性的少数者への差別デマを吹聴する“保守論客”の名

 

Aさんは、最高裁判決後の記者会見でこう述べている。

「私のアイデンティティーは女性です。男と女の中間ではなく、女性です。私は男性という社会的な枠から、女性という枠に移りたいだけです。そして今は、社会的には女性として認識されています」

ニュースでここまでの流れを知り、Aさんが自身の言葉で話している映像を見て、私は、Aさんが長年かけて段階を踏み、職場の中で女性として受け入れられようとしてきたことを感じ、最高裁は素晴らしい判決を下したと思った。

2009年の説明会の時点で、その日まで男性の服装で勤務していた同僚を、これからは女性として扱いましょうと聞いたとき、全員がすんなり理解できるわけがなく、戸惑う人がいるのも仕方のないことだと思うが、だからと言って、明確な話し合いもしないままに「2階以上離れたトイレに行け」と決めた経産省の態度は、あまりにもあからさまな差別だろう。

本来は、違和感を抱いているように見える職員がいたなら、一度の説明会では理解が十分ではないと判断し、さらに理解を深めるための機会を持つなど、取り組みが必要だった。

「違和感を抱いているように見えた」という時点で処遇を決めてしまったのは、そのように「見えた」担当者にも、その上司にも、省全体にも、トランスジェンダーについて理解しようとする気持ちを持つ人がいなかったということだ。

だがAさんは、その処遇を一旦は受け入れて、職員として働き続けながら、女性として理解を得られるように闘ってきた。

自覚がないまま漏れ出すのが差別心だと思うが、私は、経産省が、Aさんに対して嫌がらせの処遇を突き付けて、自主退職してくれたらいいとすら思っていたのではないか、と疑っている。

一時的にそのような決定をしてしまったとしても、その後の数年間、Aさんが服装も名前も変え、女性として働き、認識されるようになっていくなかで、考え直すことはできたはずだ。ところが、数年たって本人から改善を要求されても跳ねのけたのだから、やはり、省として全く受け入れる気がなかったわけだ。

「女性トイレを使用してもトラブルは生じていない」と書かれているが、トラブルを起こすような人ではなかったという単純な話ではないだろう。

一日の大半を過ごす職場で、Aさんが、トイレのたびに周囲の目を気にして緊張しなければならず、じわじわと自身への差別的待遇を味合わされている切実な状況が想像される。職場で打ち明けるにも相当な勇気を振り絞っただろうし、その後、上司からは、「男に戻ったほうがよい」という心ない言葉を数々投げかけられて、長期間休職もしたという。

それでも復帰して、働き続けながら、国と最高裁まで争ったのだから、その姿勢は並み大抵のものではないと思う。「私怨を晴らす」というような私的感情だけでやり抜けることではないだろう。

最高裁の判決を下した今崎幸彦裁判長は、こう述べている。

「職場の理解を得るには、当事者のプライバシーの保護と、ほかの職員への情報提供の必要性という難しい判断が求められるが、職場の組織や規模など、事情はさまざまで、一律の解決策にはなじまない。トランスジェンダー本人の意向と、ほかの職員の意見をよく聞いて、最適な解決策を探るしかない」

「多くの人々の理解抜きには落ち着きのよい解決は望めない。社会全体で議論され、コンセンサスが形成されることが望まれる」

非常に大人の見解で、見事なコメントだと思った。

つまり、判決は「国としてトランスジェンダーに対して、一律にこうあれ」と規則を下したものではなく、その職場、その組織の状況、環境、本人の意向や事情によって、解決法はさまざまであり、何よりもまずは日本全体で、トランスジェンダーへの理解を深めることが先決で、これを機に社会全体での議論を喚起したいという大きなテーマがこめられているのだ。

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