「宿題」などもその一つである。
全員に学力をつけるのは学校の領域である。
一方で、個人的に足りない部分を埋める努力をするのは個人(=家庭教育)の責任である。
だから、学校から課す一律の宿題は、必要ない子どもには全く必要がないどころか、有害ですらある。
必要な量は個別に違うのである。
文字通り、宿(家)でやるものなのだから、本来的に学校教育の管理外である。
学校がその取り組みに対しあれこれ細かく管理・監督するなど、余計なお世話である。
一方で、子どもや家庭の学校への依存性を高める(=主体性を失わせる)ためには、特に効果的である。
知らず知らずのうちに、学校が家庭領域の分野を侵犯しているのである。
本来、「我が子」という視点から見た家庭学習の習慣は、完全に家庭教育の領分である。
一方、例えば学校での子どもの態度が悪いという状態を仮定する。
これを学校側から「困るのでご家庭で指導してください」と要望するのは、学校教育への領域侵犯を勧めていることになる。
「学校での態度が悪い」のだから、それはあくまでも学校教育の領域である。
それを気に入らないのも、学校の側なのである。
そうだとしたら、褒めようが叱ろうが、工夫して望ましい状態に自ら指導するべきである。
その指導自体を家庭に要望するのは、お門違いである。
必要があるとしたら、「学習態度に改善すべき点があり、現在試行錯誤しながら、〇〇さんに合う指導を模索している最中です。必要に応じて個別の指導をする場合もあるかもしれませんが、どうかご了承ください」というのを予め伝えて了承を得ておくことぐらいである。
(ちなみに、家庭の側が「先生の言うことなんか聞かなくていい」ということを子どもに教えている場合はまた別である。それは、家庭の側が先に学校への領域侵犯をしているのである。)
学校教育への領域侵犯を勧めた以上、当然家庭から様々な要望が来る。
「学校でもっとああしろ、こうしろ」という声が出てくるのも当然である。
あくまで先にこちらが勧めたのであり、自業自得といえる。
領域侵犯をしないということは、「節度」という日本語で言い換えられる。
節度が大切なのである。
竹にある、あの節目である。
自分の領域の節目を自覚し、相手との節目を越えないことである。