プロ野球や宝塚だけじゃない。日本が放置してきた「先輩・後輩カルチャー」の弊害

 

組織の潜在能力と効率を最小化する先輩後輩カルチャー

先輩後輩カルチャーによって、そのようなリーダーシップの基本すら教えられていない人材に、1年経験が長いというだけで自動的に権力が与えられて、結果を求める圧力が加えられる、そうなれば、その「先輩」は強制力を暴言で表現するマネジメントに追いやられます。その結果として、チームの潜在的な能力は引き出されず、またメンバーの心理的な満足度は低くなり、体力や精神面での消耗は激しくなります。

宝塚の場合は、入場料を取って演劇を見せる集団ですし、楽天の場合はプロ野球チームです。ということは、どちらもプロ集団です。プロのプロである根拠というのは、そこに経済が介在し、そしてその経済によって関係者が生活しているということです。であるならば、チーム全体が正しいリーダーシップによって、最大限の潜在能力を発揮して、より多くの観客の支持を得ると同時に、メンバーの負担は最小化されるように持っていかなくてはなりません。

更に「先輩後輩カルチャー」というのは、教育訓練に関する誤解を含んでいます。教育訓練というのは、経験者が未経験者の上位に立って、自分の経験則を無反省に押し付けるものではありません。別の言い方をすれば、あるタスクの経験者イコール、教育訓練ができるという考え方は間違っているのです。

現在の人間社会は、複雑でありかつ激しいスピードで変化しています。また、国や社会にもよりますが、封建制や強権政治を脱して、個々人の尊厳が尊重される社会でもあります。こうした社会における、教育訓練というのは少なくとも次のような原則に基づいて行われるものです。

「経験者が経験則を押し付けるのではなく、原理原則と、具体的なスキルを分け、その上で最新の教授法を身につけた専門家が指導するべきだ」

「人間関係としては、指導者は学習者と対等であり、相互に適切な距離を取り、相互に信頼関係を取り結ぶことが結果的に教育訓練の効率を最大化する」

今回の宝塚の事件は、報道されている限りにおいては、このようなリーダーシップの定義と、教育訓練における原理原則が全く理解されていないことを示しています。安楽投手の問題も、リーダーシップというものが、全く理解されていないという点では変わりません。

つまり、「先輩後輩カルチャー」というのは、何となく「ハラスメントを生みがち」だとか「上下関係が行き過ぎている」というだけでなく、組織全体の潜在能力と正しい意味での効率を「最小化」する、全く間違った社会慣行だということを示しています。

解決策としては、「上下関係を緩める」ということになっていますが、それでは全く不十分です。例えば、宝塚の場合に、先輩の乗っている阪急電車には、下級生は頭を下げて電車を見送らなくてはならないという慣習があったそうです。現代の価値観では、こんなものを放置していては、阪急電車のイメージも下がるし、沿線の地価にも影響するわけで、どうやらこの慣行は禁止になったようです。

ちなみに、このような「目に見えるパワハラ体質」というのは、「先輩」という自動的に「権力パスを手にした」人間が、実は何のスキルも人格力もない劣等感の塊だということが「誰の目にも明らか」であるわけで、これでは沿線の地価が下がっても全く不思議ではありません。

ですが、そのような「過度の上下関係はダメ」というような消去法では全く不十分なのです。そうではなくて、上級生が「下級生のモチベーションを最大化するように支援する」ということ、そして「指導は経験則のコピーではなく、指導スキルのある人間が質の高い指導を行う」ような改革が必要です。

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