人事介入の復讐か?安倍派パー券で完全に覚醒した「特捜」の逆襲と約100年にわたる“戦いの歴史”

2023.12.12
 

陸山会事件では小沢一郎の「首相就任」の芽を摘む

その後も、「リクルート事件」「佐川急便事件」など、検察と政党政治の闘いは延々と続いた。特筆すべきは、2009年の政権交代による民主党政権前後だろう。

2008年ごろ、西松建設からOBらを代表とした政治団体を通じて自民党や民主党などの大物政治家などへの違法な献金が行われた容疑が浮上した。2009年、特捜の捜査が政界に及んだ。

3月、特捜は東京にある小沢の資金管理団体「陸山会」事務所、地元事務所の家宅捜索を行った。小沢一郎民主党代表(当時)の資金管理団体「陸山会」の会計責任者兼公設第一秘書が政治資金規正法違反の容疑で逮捕された。

当時、麻生太郎内閣の支持率が急落しており、民主党への政権交代が期待されていた。小沢一郎代表は首相就任の可能性が高かった。だが、5月11日、この問題による党内の動揺を受けて、民主党代表を辞任した。

2009年9月の総選挙で民主党は地滑り的大勝利をおさめ、鳩山由紀夫民主党政権が誕生した。小沢は党幹事長に就任し、英国流の統治機構改革や、党政調会の廃止、幹事長室への陳情の一元化の断行に、その剛腕を振るおうとした。

ところが、前述の通り、2010年1月小沢幹事長の元秘書である側近・石川知裕衆議院議員を含め、小沢幹事長の秘書3人が検察によって政治資金規正法違反容疑で逮捕され、2月に起訴された。小沢本人は嫌疑不十分で不起訴処分となった。

しかし、世論は小沢を許さなかった。ある市民団体が不起訴を不服として、小沢を検察審査会に告発したのだ。検察審査会は起訴相当議決をし、特捜はこれを不起訴としたが、小沢は民主党幹事長を辞任した。

実際、2010年10月に検察審査会は小沢に対して2回目の起訴相当議決をし、2011年1月に強制起訴された。最終的に小沢は無罪となったが、一連の疑惑騒動で、国民の小沢への信頼は地に落ちた。一時は首相就任確実と考えられた小沢は、その機会を失うこととなったのだ。

このように、「政治的検察」特捜は、時に戦後日本の新たな政治勢力を目指した社会民主主義者や、小学卒から一代で権力の座に上り詰めた指導者、ドラスティックな社会変革を目指した改革者など、権力の本流と異なる氏素性を持つ政治家などを攻撃しながら、「最強の捜査機関」であり続けた。

菅義偉と黒川前東京高検検事長に抑え込まれた検察

ところが、2012年末に第二次安倍晋三内閣が登場した後、特捜は長い沈黙の時期に入る。それは、菅義偉官房長官と黒川弘務前東京高検検事長(ともに当時)が検察を抑え込んでいたからだという話がある。

菅官房長官は、毎年約10億~15億円計上される官房機密費や報償費を扱い、内閣人事局を通じて審議官級以上の幹部約500人の人事権を使い、官邸記者クラブを抑えてメディアをコントロールし、官邸に集まるありとあらゆる情報を管理した。官邸に集まるヒト、カネ、情報を一手に握ることで、菅氏は絶大な権力を掌握してきた。そして、特捜が動く前に、政権の基盤を動揺させることになる政治家のスキャンダルは未然に抑えられていたということだ。

また、菅官房長官が集めた権力は、「森友学園問題」、「加計学園問題」、「桜を見る会」、「南スーダンの国連平和維持活動(PKO)の“日報隠し”問題」、「裁量労働制に関する厚労省の不適切な調査データの問題」など、安倍前首相とその周辺が「権力の私的乱用」をして、うまい汁をすすることを守るために使われてきた。一連の隠蔽、改ざん、虚偽答弁とそれらに対するメディアの甘い対応は、菅官房長官の指揮によって行われてきたのだ。

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