でも、今から考えたら、この【根っからの怠け者体質】が良かったんですよね。
面倒くさがりでなければいちいちマメに、ストレスを溜め込みながらあれこれ努力して、取り組もうとしていたはずです。
でも面倒くさがりの怠け者は、あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい、という思いはあれどもいっこうに身体が動かないから、あるときから「面倒なものは面倒なのだからしゃーねーじゃないか」と割り切って(開き直って?)考えるようになりました。
そうすることで予測もできなかったことですが「どうすれば面倒くさいことをやらなくても済むようになるか」という問いが、頭の中で回り始めるようになったんですね。
まさに【認識のコペルニクス的転回】とでもいうべきか、この発想の転換が私にとってのターニングポイントとなりました。
面倒くさいことだけれども頑張ってやろう、と思っている限り、どこまでいっても、面倒くさいことが「子泣きじじい」のようにつきまとい、さらには体重も重くなり、押しつぶされるところまで離れてくれません。
いうまでもありませんが、子泣きじじいとは、赤ちゃんの泣き声で人をおびき寄せ、体を重い石に変えて相手を押しつぶす妖怪。
面倒くさい事案は子泣きじじいに似ていると思いません?
その面倒さゆえに私たちをおびき寄せ、抱えた瞬間、重さを増して押しつぶしにかかるところなんか、子泣きじじいとそっくりです。
私(鮒谷)が、常識を捨てて「面倒なものは面倒なのだからしゃーねーじゃないか」と開き直った瞬間、なぜか子泣きじじいが自分から離れていってくれました。
そう考えると、面倒くさがりや怠け者という資質は上手に使えば長所になり得る、といえそうです。
その特性を素直に認め、「どうすれば面倒くさいことをやらなくても済むようになるか」と脳内言語を変更するだけで【面倒臭いことをやらなくても済む人生を送れるようになった】わけですね。