【起業記】大繁盛ラーメン店『町田商店』(その4) 「店舗プロデュースへ」

 

● 店舗拡大のきっかけ

『代々木商店』も『町田商店』も、その後も順調に売り上げを伸ばしていきました。正直、1号店の『町田商店』に関しては、自分が現場を抜けることで多少の売り上げが落ちるのも覚悟していましたが、逆にどんどん上がっていきました。自分の下で働いているときは、少し頼りないなと思っていたスタッフ達も、信じて任せることで、意識が高まり、その時は想像もつかなかった成長を遂げていきました。その時、人の成長に限りはないな、人の成長のステージのためにも店舗を増やさなくてはと思いました。創業当初はあまり拡大せず、3店舗位をしっかりとやっていこうと思っていましたが、みんなの自己成長欲求を満たしていくために、店舗展開していくことを決断しました。

そして、『代々木商店』のオープン後の1年後に町田にもう一店舗、そしてその半年後には綱島に出店しました。綱島の店舗は、10坪家賃30万で月商1000万円を超える繁盛店になり、飲食店をやる上でやはり場所は重要だと改めて感じました。

みんなの成長の成果がちゃんと対価として現れるよう、営業利益の25%を毎月の給与にインセンティブとしてつけることにしました。利益が出なければインセンティブもつけることができないので、より一層、場所選びに慎重になっていきました。

綱島の出店を境に自分は現場を離れ、メインの仕事を物件開発にしました。毎日たくさんの物件を見に行き、広範囲のエリアでの土地勘を培っていきました。ラーメン屋の居抜きは、ラーメン店としてまたオープンしてもインパクトがないため敢えて狙わず、意外と家賃が割安で設定されている元々物販や、新築物件などをメインに申し込んでいきました。

ラーメン屋は、同条件で他社の申し込みが入ると取得できないケースがほとんどだったので、人気の物件は条件を上げて申し込んでいきました。5号店となる横浜は、何としてでも取得したかったので、家賃を10万上乗せ、礼金で500万支払って取得しました。そうして2013年は4店舗の出店をし、直営店舗は8店舗まで増えました。

気付けば『壱六家』を退社した時の店舗数と同じ規模になっており、自分の退社後、『壱六家』が出店と退店を繰り返し、伸び悩んでいたのを知っていたため、このままたいした知識も無いまま進んでいくことに一抹の不安を抱いていました。

そして、そんな矢先、自分の経営観に大きな影響を与える1人の人物に出会うことになるのです。

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