岸田文雄のシナリオ通り。自民「政治刷新本部」で“麻生に菅を対峙させる”意図

 

「派閥解消」を本気で考えるはずのない岸田首相

そんな経緯を背景として、菅氏を刷新本部に引き入れたのだから、「派閥解消」が議論のマトになるのは当然の成り行きだった。第1回目の会合から、菅氏や小泉進次郎衆院議員らがそれを強く主張したが、麻生副総裁は絶対に反対の立場だ。おそらく今後も「派閥解消」が焦点となって、会議が踊り、いたずらに時間が費やされるのだろう。

しかし、たやすく「派閥解消」というが、派閥をどうやったらなくすことができるというのか。とかく人は群れたがる。大勢の人がいれば、自然にグループができ、リーダー的な存在が生まれる。派閥は法律に基づいた制度でもなければ、自民党の公式な組織でもない。いわば、任意の議員グループだ。

岸田首相が「政策集団」と呼ぶように、政策に関する勉強会ということになっているが、それは建て前にすぎない。実際には、政治資金の調達、ポストの配分という利益確保を目的として集まっている集団だ。その目的を実現するため、親分(領袖)に強大な政治権力を握らせるべく、総裁選での多数派工作にいそしむのだ。カネとポストを得て、派閥の力が強くなれば、個々の所属議員の選挙でも勝利が近づくという寸法だ。

日本社会では閉鎖的な利益共同体である「ムラ社会」が形勢されやすい。派閥はその典型で、行動原理は集団主義である。他の集団に負けないよう、家父長的リーダーのもと、みんなが一つになって同じ行動をする。

派閥という「ムラ」の連合体が自民党だ。意見や政策が異なり、時には激しく対立しながらも、政権を守り抜くために長老が話し合い、最後には一致団結する。そんな芸当ができるのも、自民党が派閥という「ムラ」の集合体であるからだろう。派閥をなくするとして、自民党は自民党であり続けることができるのだろうか。

「政治刷新本部」ではじまった派閥解消の論議とやらが、最終的に、党内の上下関係や秩序を形成していたあらゆる価値観をぶっ壊し、世襲とか金の力を有する者ではなく、国民にとって真に必要な人材が集結しやすい土壌に変えていくことをめざすのであれば、大賛成である。

だが、その旗振り役が菅前首相や小泉進次郎氏というのでは、絶望的な気分になる。自分たちが無派閥であることを国民にアピールするパフォーマンスを繰り広げるだけではないかと疑いたくなってしまうのだ。

だいいち、菅氏に「派閥解消」を唱える資格があるのだろうか。菅氏は派閥横断の勉強会「韋駄天の会」や、無派閥議員からなる「ガネーシャの会」など、緩やかな結びつきのグループの中心的存在だ。その数は合わせても20~30人といわれる。カネやポストを目的としていないかもしれないが、これも派閥の変種ではあろう。

なにより、菅氏もまた、二階派、麻生派、細田派(当時)、竹下派(同)などの謀議による派閥の力学で首相にのぼりつめた政治家である。いまさら「派閥解消」を声高に叫ばれても、自己宣伝の一種としか思えない。

だが岸田首相は、菅氏を麻生副総裁とともに刷新本部の最高顧問に据え、その結果、「派閥解消」を中心とした論議が巻き起こった。岸田首相にとってシナリオ通りの展開ではないか。もとより岸田首相が「派閥解消」を本気で考えるはずはない。それでも、「派閥解消」論議がメディアを通じて国民の間で話題になること自体は、政権にしがみついていたい岸田首相にとってマイナスではないように思えるのだ。

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