自民党に派閥がない方が不自然
1993年、現在の岸田派と同じ宏池会の宮澤喜一内閣で自民党が下野し日本新党の細川護熙内閣ができた時に、自民党は派閥の解消を行うということを決めました。河野洋平総裁の時になります。
この時は「小選挙区制になるので、有権者は政党を選ぶのであって、自民党の中に派閥は必要ない」というのが建前であったと記憶しています。
もちろん、当時は宮澤喜一首相本人がリクルート事件での株の取引に名前を連ねていたことなどがあり、そのことから、「政治と金」というような話になっていたにもかかわらず、なぜか派閥解消というような話になったのです。
何か今回と似ている展開ですね。
しかし、結局は「政治と金の問題」であるというだけではなく、必要以上に小沢一郎氏と小選挙区制と政治改革に固執する事から、自民党何もそのやり方に反発する人々が出てきます。
そのことから、結局「河野改革に賛成か反対か」ということになり、その内容で派閥が出来上がるのです。
もちろんそこに反対であるからといって党を割って出るというような選択肢もあるかもしれませんがそのような派内をしないということになります。
そして、河野氏の次の総裁選において、派閥ができるということになるのです。
自民党に限らず、総裁選挙や代表選挙というのは、政策を主張し同好の士を集めるという作業になります。
ある意味で共感を集めるという事でもありますが、そのことが仲間ができているということになります。
皆さんも、例えば高校時代の学生会の会長や何かの実行委員会、もっと少ない内容でクラスの委員長などを選ぶのでも、全会一致でない限り、何らかの派閥ができます。
当然に数十人の中でもその集団ができ、そしてその中に様々な考えた個人的な感情が出てくるということになるのです。
当然に自民党のように議員だけでも400人もの集団でその様な派閥がない方がおかしいということになります。
そのようにして派閥がまた復活します。
1994年以降30年でまた派閥解消というような話になったのです。
格言で人が3人いれば派閥ができるといわれています。
ある程度の大きな集団になれば、当然に個人的な感情や好き嫌いが出てきますので、派閥ができるものです。
政権をとった民主党でも代表選をするたびに派閥(彼らはグループといっていましたが)ができたのです。
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