小山台は都内有数の進学校で練習スペースも時間も限られており、甲子園はおろか上位進出さえ難しいのが現実でしたが、大輔の事故をきっかけにしてチームとしての絆が深まり、必死に練習に励むようになったのです。
私もまた、大輔が遺した言葉をもとに、「日常生活に野球の練習がある」「何事もコツコツ努力する先に光があるんだ」と、選手たちに心の持ち様や、日常の基本姿勢の大切さを、以前にも増して強調するようになりました。
そのような“大輔のために”という私たちの思いが、天国の大輔に届いたのでしょうか。
事故から4か月後に行われた千葉経大附高との試合中、ベンチに座っていると一匹の赤トンボが私の膝に止まり、じっと動こうとしません。
私はハッとして、思わず「大輔か?」と手を伸ばすと、赤トンボは私の指にしっかり止まったのでした。
さらに指から離れていった赤トンボに「おい、大輔!」と呼び掛けると、またぴゅーっとベンチに舞い戻ってくる。
その瞬間、私も選手たちも涙が溢れて止まらなくなりました。
奇しくも大輔が最初に活躍してレギュラーを勝ち取ったのがこの千葉経大附高のグラウンド。
大輔は赤トンボに姿を変え、私たちのもとに戻ってきたのです。
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