【爆笑!実録地球の歩き方】バックパッカー、イランのブタ箱にぶち込まれる

© Borna_Mir - Fotolia.com
 

臭くない飯を食う?

さらに驚いたことに、彼はムスタファたちと違って今回が再犯だった。興味津々で初犯のときの刑を尋ねると、スレイマンは自分の背中を指差し、鞭を振り下ろすゼスチャーをしたあとでこういった。

「痛くて痛くて、鞭打ち4回目から記憶がない」

その言葉を耳にしたランボーみたいなムスタファも、さすがに「えっ!」と一声発したあとは声を呑んでいた。

「じゃあ、2回目の飲酒だと、どんな刑になるんだい?」

「3ヶ月から半年の禁固刑だとおもう」

やはりイランでの飲酒は恐ろしい。僕はイラン入国からこの日まで18日間も酒を断っていた。夏場のイランは暑い。毎日毎日冷たいビールに恋い焦がれていたものの、スレイマンの体験談を聞くとそんな欲求がスーッと引いていった。

ところで留置場での一番の楽しみは、みんなで車座になっての会食だった。警察はナーンという薄いパンと水は支給してくれるが、その他の食物は警官に小銭を渡して店で買ってきてもらうか、家族などから差し入れてもらうかする以外、手に入らない。

僕は初日の夜だけ警官にサンドイッチを買ってきてもらったものの、次の日は朝昼晩3食全部、ムスタファやアゼルバイジャン人の家族とテヘランの若者の仲間が差し入れた食事をお裾分けしてもらった。特にテヘランの若者は腹痛と下痢でほとんど食欲がなく紅茶ばかり飲んでいるのに、一緒に旅行に来た仲間は彼に精をつけさせようと毎回2人前ほどの分量を差し入れていたから、それらは飲酒で再犯の大男スレイマンと僕の格好の餌食となった。

アルミ鍋には炊き立てのライス、グリルドチキン、焼きトマトなどが豆を煮込んだソースにからまって入っている。5人もいるのにスプーンは2本しかないので、みんなで代わる代わるアルミ鍋の中のご馳走をスプーンで口へ運ぶのだ。

ブタ箱にぶち込まれるときは暗闇の中でギラッと光る彼らの瞳を目にしたとたん「牢名主」なんて言葉が浮かんだのに、こうやってひとつ鍋のメシを突っつき合っていると今度は「同房の友」なんて言葉を思い出した。イランでは公然と酒を飲めないのでイラン人と「飲めばわかる」とはいいづらいが、少なくとも「食えばわかる」人たちだということはブタ箱で実証済みである。

こちらは道中お世話になったお宅の食事風景。留置所ではこうはいきません。

こちらは道中お世話になったお宅の食事風景。留置所ではこうはいきません。

僕はいったいどんな嫌疑をかけられて国境警備隊によってここへ連行されたのかよくわからず、留置場にいるあいだじゅう不安はあったけれど、彼ら同房の友の存在がそんな不安を軽減してくれたのはありがたかった。

3日目の朝にようやく正式な取調べがあり、ペルシャ語での尋問に手を焼いていたところへ、日本で2年ほど不法就労していたというイラン人が偶然入ってきて通訳してくれたおかげで僕の嫌疑も晴れ、ふたたびシャバの空気を吸うことができた。

困窮した僕を何人ものイラン人が救ってくれたことをおもうと、いつかイラン人に恩返ししたくなったのも自然なことだ。

それはそうと、僕はどうしても日本の友だちと酒を酌み交わして、イランでブタ箱入りを余儀なくされて滅入った気分を発散させたくなった。結局、解放から1週間後には一時帰国し、友人たちとしこたま酒を飲んで溜飲を下げたのである。

取調べ中に通訳してくれたイラン人から手紙が届き、もう一度日本で働きたいから不法入国の手引きをしてくれと依頼してきたのは、帰国後1ヶ月ほどしてのことだったろうか。

イラン人には恩返ししたいところだが、順法精神の塊のような僕が、彼の依頼を無視したのはいうまでもない。

 

『あるきすと平田のそれでも終わらない徒歩旅行~地球歩きっぱなし20年~』第2号より一部抜粋

著者/平田裕
富山県生まれ。横浜市立大学卒後、中国専門商社マン、週刊誌記者を経て、ユーラシア大陸を徒歩で旅しようと、1991年ポルトガルのロカ岬を出発、現在一時帰国中。メルマガでは道中でのあり得ないような体験談、近況を綴ったコラムで毎回読者の爆笑を誘っている。
≪無料サンプルはこちら≫

KIRIN「まぐまぐニュース!」の最新更新情報を毎日お届け!
まぐまぐ!の2万誌のメルマガ記事から厳選した情報を毎日お届け!!マスメディアには載らない裏情報から、とってもニッチな専門情報まで、まぐまぐ!でしか読めない最新情報が無料で手に入ります!規約に同意してご登録ください!

print
いま読まれてます

  • 【爆笑!実録地球の歩き方】バックパッカー、イランのブタ箱にぶち込まれる
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け