なぜ、アメリカ大統領選はこんな茶番劇になっているのか?

 

「軍事帝国」の行き詰まり

帝国の崩壊のもう一面は「軍事帝国」の崩壊である。

9・11の惨劇があって、当時のブッシュ大統領は「戦争だ!」と叫んでアフガニスタンとイラクの戦争を発動した。私は9・11で頭が真っ白になって、しばらくは何をどう考えたらいいか分からなくなってしまったが、ブッシュのその呼号を聞いて目が覚めて、事件から6日後に「戦争は泥沼化への道ではないか」と題した最初の分析記事を書いた。その頃、日本のマスコミも進歩的文化人と言われる人たちのほとんどもブッシュ支持で沸き立っていたから、それに異を唱えるのは少々勇気のいることではあったが、以来私は自分が主宰する「インサイダー」でその観点からの記事を繰り出し続けた。2006年の秋に、それまで5年間のアフガン、イラク関連の記事を集めて1冊に編んで、そのタイトルを「滅びゆくアメリカ帝国」とした(にんげん出版刊)。その当時は、「もう滅ぼしてしまうんですか」などと皮肉っぽく言われたものだったが、今では、世界ではもちろん米国の新聞・雑誌でも、米帝国の崩壊はごく普通に語られるようになった。

20世紀は「戦争の世紀」と言われた。前半には2つの世界大戦があって何千万もの人が死んで、「もうこんなことは繰り返してはならない」ということになって国連が生まれ、その理念に従って日本は非武装憲法を作り、欧州では友愛の精神に基づく地域統合への歩みが始まった。しかし世界は「緩慢な第3次世界大戦」としての冷戦に転がり込んで、国連憲章の理念も日本国憲法の精神も活かされることはなかった。それでも45年間を経てその冷戦も終わって、本来であれば世界は、戦争の世紀としての20世紀をきっぱりと卒業して、戦争なき21世紀、従って覇権なき多極秩序の21世紀へ向かって歩み始めなければならなかったし、それには誰よりもまず米国が、多極世界のワン・オブ・ゼムではあるけれども、しかし十分に強力な最大の経済大国として振る舞うことを学ばなければならなかった。が、現実はそうはならなかった。

冷戦を終わらせた当事者であるブッシュ父大統領は、「冷戦という名の第3次世界大戦に勝利して、今や米国は唯一超大国となった」という幻想に取り憑かれた。冷戦が終わったということは、20世紀前半の熱戦に戻ることではなく、冷戦にせよ熱戦にせよ、国民国家が軍事力にもの言わせて国家総力戦を戦って利害を競うのが当たり前という16世紀以来の国家観・戦争観・世界観を、エイ、ヤッとばかり一斉に捨てるということであるはずだったのに、米国はそれに応じなかったばかりか、逆に「旧ソ連がいなくなり、社会主義体制が崩壊して、これからは我々のやりたい放題だ」という愚かしい錯覚に舞い上がった。

その「唯一超大国」幻想を、「単独行動主義」とか「先制攻撃主義」とかの実際の軍事・外交路線に具体化したのがブッシュ子政権だが、しかしアフガンとイラクの2つの戦争は、軍事力では今の世界が抱える問題は何一つ解決しないという赤裸々な現実を露わにした。全世界の軍事費の45%を一国で費やす米国が、その総力を挙げて襲いかかってもテロリストを壊滅させることが出来なかったばかりか、中東の秩序は千々に乱れて、ISという化け物を生み出してしまった。

オバマ大統領はこの7年間、その2つの間違った戦争から米国を救い出し、軍事力任せの粗暴な米国を変革して21世紀の世界に適合させようと、それなりに頑張ったと思う。「米国は世界の警察官ではない」と繰り返し宣言し、また陸軍士官学校の卒業式の演説では、「米国は世界最強のカナヅチを持っているが、だからといって世界中のクギを打って歩くつもりはない」「すぐに軍事力に訴えないのは弱腰だと批判する者もいるが、私はそんな批判をかわすために諸君らを戦場に送ることはしない」と明言した。こんなことを言った米大統領はいない。

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