京都の結果も面白い
とはいえ、共産党など野党との協力だけが立民党の生きる道なのかと言うと、そういうことでもない。そこが前原氏が一番分かっていなかったことである。
京都はそもそも自民も民主=民進も共産もそれなりに強くて、勢力拮抗的な政治風土である。
ここでは今回、立民は小選挙区で1人も候補者を立てず、従ってまた他党との候補者調整も行われなかった。それに対して希望は全区で候補者を立てた。にもかかわらず、比例票の出方を見ると、
自民:31.2
公明:10.6
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立民:18.1
希望:14.3
共産:14.1
これを見て、京都で立民が候補者を立てていないのに比例で野党第一党であるというのが驚きである。しかも、京都新聞の出口調査では「最も重視すべき争点」の第3位に「憲法」がランクされていて、こんな都道府県は他にない。改憲への姿勢で立民と希望の差が出たのだとすると京都の有権者はレベルが高い。
以上の高知2区、京都全区の例を通じて浮き彫りとなる1つの問題点は、共産党が今までの独善主義を改め、党勢拡大のバロメーターとして全選挙区で立候補するという全く無意味な選挙戦術を止めて、当選可能性のある野党統一候補を推すというのは、とてもいいことであるとは思うけれども、それによって自党が直接得られる票が大幅に減ってしまって、比例での同党候補の当選に結びつかないということが起きるので、それへの反対論が党内でも起こるだろうということである。
しかし、野党共闘を止めれば共産党の票が増えるのかと言えば、そんなことはない。この間の同党の一定の増勢は、民主党~民進党の何やらハッキリしないムニャムニャ状態が続く中で、「しょうがない、共産党に入れるしかないか」という消極的というか、本物の野党第一党が不在であるが故の代替的な支持が過半を占めていたのであって、立民が真正リベラルという風で出てくるとそちらに流れるのは仕方がない。
その流出を止めて、同党が恒久的に囲い込もうとするのであれば、社会主義から共産主義へという綱領的理念をいまこの時点で国民にどう説明し納得してもらうのかという至難の業に取り組まざるを得ない。それをしたくないのであれば、イタリア共産党がそうしたように、さっさと共産主義を捨て綱領を改め党名も変えて、リベラル政党の一種として現実政治に関わらなければならない。
共産党がそこに本気で取り組むのであれば、立民党との間を基軸とした野党協力、その先の連立政権による政治転換が現実味を帯びることになろう。
image by: 小池百合子 - Home | Facebook