それはおそらく、日本語の起源に関係する。
日本語の起源、つまり、和歌だ。
もともと和歌から生まれた日本語は、わずか一単語でも、幅広く様々な物事や状況や心情を
巧みに表現できるようになっている。
和歌づくりというのは、わずか一単語、一単語の言葉の組み合わせによって、幅広く様々な物事や状況や心情を巧みに表現するところに面白さがあるわけで、その和歌づくりを通じて、初期の日本語が形作られ、発展してきた。
しかも、日本国内の人口は、大多数(現在でも97%以上)が、同じ文化や価値観やライフスタイルを共有する日本人によって構成されるため、わずか一単語で表現される微かなニュアンスの違いでもお互いに理解し、共有しあえる環境が整っている。
根本的に異なる多種多様の文化や価値観やライフスタイルを持つ、様々な人種や民族が混在する諸外国とは、大違いだ。
そんな環境で、長い歴史を経て、日本語は発展してきた。
それは、私たち日本人が、言語能力を高めてきた歴史でもある。
そうなのだ。
日本人は、和歌から生まれた日本語と、人口の大半が同じ文化や価値観などを共有する日本人で構成されているという特殊な環境下のお陰で、世界でも珍しい、極めて高度なコミュニケーション能力を持つようになった。
だから、現在でも、多くの日本人が、例えば、たとえまったく同じ言葉でも、表記の仕方で変わってくる意味や、些細なニュアンスの違いを、別にこれといった何か特別な訓練など受けなくても、ごくごく自然に感じ取ることができる。
嘘だと思うなら、皆さんも、自分のお名前を、漢字、ひらがな、カタカナで書いてみて欲しい。
まったく同じ名前でも、表記の違いから生じるニュアンスの違いを、日本人なら感じ取ることができるはずだ。
まったく同じ1つの言葉でもこんな調子なので、多くの日本人は、日常的に、「頭の中で考えている思いの些細なニュアンスの違いを表現するには、どういう言葉を使ったらいいのか?」と無意識のうちにでも考えている。
その結果、日本語では、次々に、新しい言葉や表現、新語や流行語なども生まれやすいし、多くの日本人が、「流行語大賞」的なイベントに興味や関心を持っている、ということなのだろう。
しかし、同時に、その日本人ならではの高度なコミュニケーション能力は、いつまで経っても、日本人がなかなか英語を話せるようにならない理由(障害)の1つにもなっている・・・と思う。