【京都】大文字焼きと呼ばないで。「五山の送り火」に伝わる3つの説

 

京都で行われる行事や祭りなどのほとんどはその起源や歴史がハッキリしているのですが、送り火だけはその起源が分かっていません。今のところ3つの説が伝えられています。

1.平安初期「空海」説

かつて大文字山のふもとにあった浄土時が火事になったときに、本尊の阿弥陀仏が山上に飛来して光明を放ったと伝えられています。この光を弘法大師空海)が大の字型に改めて火を用いる儀式にしたという説。

2.室町中期「足利義政」説

1499年、足利義政が近江の合戦で死亡した息子・義尚の冥福を祈るために、家臣に命じて始めたとの説。

3.江戸初期「能書家・近衛信尹(このえのぶたか)」説

1662年に刊行された書物「案内者」の中に「大文字は三藐院殿(近衛信尹)の筆画にて」の記述があるのでこれが有力視されています。

これだけ有名な行事なのにハッキリとした起源が残されていないのは不思議ですよね。でも庶民から始まったものだからこそ、公式な文書などの記載もないし、その存在もないということなのでしょう。

さて、送り火は全部で5つあります。どこでどの字を見るのか毎回悩むところです。送り火全部を眺めるか、一つ二つ選んでじっくり眺めるかで、見物場所が違ってきます。

送り火が見られるのは点火からだいたい約1時間です。送り火を全部眺めるのであればやはり高いところからということになるでしょう。

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