その昔、大名行列もなく、物見遊山や参詣の旅人も少なかった頃のこの道は、塩や海産物、その見返りとして豆・煙草・麻などを運ぶ牛方や馬子、ボッカの通う道としてあるいは、ひっそりと往来した六部衆やゴゼによって歩き継がれた庶民の道、生活の道であった。
日本海の潮風をにじませた荷を背負って、牛方やボッカたちはアルプスを仰ぐ険しい道を通っていった。そんな細い峠道や野辺の道は、明治20年以後、新しい時代の道路や鉄道にとってかわられ、農道として使われたわずか部分を除いて忘れられ、いたずらに草に埋もれるままだった。
「約90年ぶりによみがえったんです。脚光を浴びはじめたのはこの5、6年のことですよ」と、小谷村にたった一つ残った牛方宿の六代目で民宿千国荘の主人千国徳重さん(76歳)。15、16年前まで、この家に住んで民宿も営んでいたという。
今は道の向かいに別棟を建て、牛方宿は観光客に解放している。「牛方宿を壊そうと思ったら、100万円の上かかるというし、躊躇していたら、その内あちこちから『待った』の声がかかってきて…。つぶさなくてよかった」とその当時を振り返る。今やこの家は千国さんにとっても、塩の道にとっても貴重な財産なのである。
往時のおもかげが、最もよく残っているとされる小谷村の街道筋、牛方宿をはじめ千国番所跡・弘法清水・首切坂など数多くの遺跡や百体観音・風切地蔵・観音原・道祖神など無数の石仏が点在している。
土日、休日ともなると雑誌片手の若い女性など大勢の観光客が訪れ、北アルプスの峰々を見ながら、かって牛方やボッカが行き交った道をたどっている。
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