「和菓子のソニー」と呼ばれた銘店の三代目が感じる「危機感」

 

京都の老舗を脅かす~“和菓子のソニー”が大躍進

叶匠壽庵は1958年、和菓子の本流、京都から少し外れた滋賀県大津市の小さな店から始まった。創業者の芝田清次は、京都に負けないこれまでにない和菓子を作ろうと考えた。

当時、羊羹や饅頭が一般的だった和菓子に、清次は革命を起こす。ヒントは京都の舞子たちが「あんも」と呼んでいた「あんころ餅」。そこから生まれたのが、あの「あも」だ。これまでにない食感で、叶匠壽庵を代表するお菓子となった。

清次の革命がもう一つ。紅色の梅をイメージした「標野(しめの)」(151円)。アルコールを飛ばした梅酒を寒天で固めたもので、酸っぱい和菓子は当時としては画期的だった。

次第に世間に知られるようになった1973年、阪急うめだ本店のデパ地下に初出店。するとブームに火がつき、1日600万円という驚異的な売り上げをたたき出したのだ。

ついた偉名が「和菓子のソニー」。当時を知る阪急阪神百貨店の北部公彦取締役は「和菓子のソニーというより、それ以上だった」と言う。

初代・清次の後を継いだ長男の清邦もまた、異色の経営者だった。菓子作りと農業は一体だと考えた清邦は1985年、「寿長生の郷」へ本社を移す。ここに清邦は「炭焼き窯」まで作る。できた炭は茶室や休憩所で使われている。

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新商品が続々登場~伝統と革新が生む極上和菓子

職人出身の芝田は社長就任以来、新商品の開発を加速させている。

春の新作は、一番人気の「あも」の求肥にヨモギを練り込んだ、「あも蓬」(1296円)。さらに求肥と餡を透明な寒天で2層にした涼やかな「夏の玉露地」(237円)、梅の甘露煮と餡をパイ生地で包んだ和洋折衷の菓子「葉守」(280円)など、芝田は新たなヒット商品を次々と生み出してきた

一方、和菓子の命ともいえる餡は、今も手作りにこだわる。一番人気の「あも」に使うのは、粒が大きく希少な春日大納言という品種だけだ。

和菓子市場の伸び率はここ数年横ばいだが、芝田の代になってから叶匠壽庵は右肩上がりの成長を続けている。

「世の中にあるものでなく、本当にないものを初代は作り上げてきました。われわれ三代目もやっぱり挑戦していく。そういうスピリットというのは忘れてはならんと」

和菓子の本場、京都に芝田がやってきた。ある大物に会うためだという。現れたのは裏千家十五代家元、千玄室さんだ。初代・清次の時代から叶匠壽庵のよき理解者で、今も時折、菓子を納めている。芝田にとっては菓子作りの指針とも言える存在だという。

「叶匠壽庵も新しい創造性はいい。しかしながら、一つの『叶匠壽庵はこれだ!』という筋を通すことが商いだと思う」(千玄室さん)

芝田は、伝統と革新の両立という大きな課題に向きあっている。

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