台湾が「マンゴー天国」となった遠因に、日本統治時代の作物技術

 

これほどまでに生産量が減少した台湾サトウキビですから、農業従事者も何か別のものを栽培しなければ立ち行きません。鄭罕池さんもその一人でした。以下、報道を引用します。

鄭さんは1929年生まれ。50数年前に米国からアップルマンゴーの苗木100本を持ち込み、害虫被害の克服に励むほか、農家に栽培方法を教えるなどし、台湾のマンゴー栽培普及に貢献した。また、玉井をマンゴーの故郷として世に知らしめることにも寄与した。

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鄭さんは1929年生まれ。現在の台南市玉井区でサトウキビを栽培していたが、1962年にアップルマンゴーに目をつけ、米国から苗木100本を持ち込んだ。栽培したが冬の寒さに耐えられず、3年後にはわずか4株に減っていた。しかし同年には収穫に成功した。アップルマンゴーは虫害に弱いなどの問題も出たが、鄭さんは実に白い紙袋をかぶせるなど防ぐ方法を編み出した。最終的にアップルマンゴーの「標準栽培法」が確定すると、鄭さんは周囲の農家の求めに応じて、栽培法を伝授した。現在の台南市玉井区はサトウキビ栽培農家がなくなった一方で、輸出用を含めてアップルマンゴーを出荷する重要産地になったという。

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自ら編み出した栽培方法を惜しげもなく求められるがままに伝授し、台湾のマンゴー市場を開拓した偉大な人物として、その名を台湾農業の歴史に名を残したのです。日本が育成した台湾農業の素地は、鄭罕池さんの手によってアップルマンゴーへと引き継がれ、台湾の農業を支え続けているのです。

かつて、日本時代に台湾に作られた製糖工場は今も残っており、記念館やレジャースポットとして活用されているので、観光の際には、ぜひ立ち寄って台湾の農業の変遷に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

台湾は「果物天国」と呼べるほど果物が豊富で、夏になると八百屋から露店まで果物で溢れています。日本人観光客は、それらカラフルな果物が並んでいるのを眺めるだけでも楽しいようです。

中でも現在、台湾で売られているアップルマンゴーは、私が幼い頃は見かけたことのなかった品種です。私は幼年時代を戦乱の中で過ごしましたが、その際、爆撃を避けるために高雄市岡山区というところに疎開しました。その疎開先が果樹園農家で、台湾原産の小さなマンゴーもたくさん成っていたことを今でもよく覚えています。

そして、その当時様々な果物を食べ、マンゴーにも親しんだおかげで、今でも若いマンゴーの食べ方も覚えています。マンゴーは成熟してからが美味しいのですが、若いマンゴーは醤油、砂糖、生姜で作ったタレにつけて食べました。

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