例えば雑誌ぴあは思春期のころたまたま毎号買っていたので、僕がぴあを毎号買っているからこそ、その占いにたまたま出会うという事実、そしてその号のぴあの占いページの、今週の獅子座の占いに、たまたまある運勢が書かれているという事実、そして僕が、そのページを開いた瞬間に、僕がたまたま目に触れてしまったという事実、その事実が織りなす偶然の必然が、僕へのご忠告だと思うようになったのです。そのご忠告と出会ったのは、ほんのたまたま、そのたまたまが重なって偶然出会ったのに過ぎないのですが、そのたまたまが重なって、僕のところにその占いがやってきたことは事実だし、むしろその瞬間に現れたのは、僕の人生にとって必然だったのでは無いだろうか?
「偶然に起こったことは偶然だけど、それが起こったという意味では必然である」
そう思うようになったのでした。
……ここまで書いて、みなさんに僕のこのスタンスがこの文章でうまく伝わるかわかりませんが、つまりいいことが書いてあっても、よくないことが書いてあっても、「あまり信じない」というわけでもなく、「めちゃくちゃ信じる」というわけでもなく、「ただ受け入れる」という風に生きるようになったのです。
そしてそれは星占いだけでなく、おみくじを引いてもそうですし、さらにいえば、人生のほとんどのこと、何かが起こったり、何かが起こらなかったり、誰かと出会ったり、誰かと別れたり、ってことが日々ありますが、それがその瞬間に自分の人生の中で生じたということに、その生じたということ自体に意味を見出すようになったのです。
例えば、最近仕事が順調で、そんな日々の中で、ある人と出会ったりします。
その出会いは、この仕事が順調なこととなんか意味があるのだろうか?
それともこの出会いが、
その仕事を発展させるのか?
これから停滞させるのか?
そのきっかけになるのか?
……そういうふうに、僕は自分の人生にやってくる様々な“出来事”を、“人生のきっかけ”と捉えています。
人はある瞬間瞬間に、何かを選択しなければなりません。
無数の分岐点が人生の中にあります。
そしてその分岐点でAを選んでしまったけど、Bを選んどけばよかったなあ、と感じてみたり、Aを選んどいて正解だった、と過去を振り返ったりします。
一方で、これからの未来にむけて、どっちを選んだ方がいいのか?
そんな選択の難しさが、実は人生の悩みの大部分だったりします。
その選択の瞬間に、僕らは、
Aを選ぶべきなのでしょうか?
Bを選ぶべきなのでしょうか?
その答えはあるのでしょうか?
あるいは、そのベストな解決方法があるのでしょうか?
僕はその答えは「無い」と思うのです。
だってAを選んだ瞬間に、世界はあなたがAを選んだ世界として動き始めるからです。
あなた自身の感情だって、Aを選んだという事実に引っ張られます。
つまりAを選んだことを後悔してネガティブな気持ちで“Aの世界”を進むのと、Aを選んだことを正しいことだと捉えてポジティブに“Aの世界”を進むのとでは、もう同じ“Aの世界”では無いからです。
ということは、つまりあなたがその瞬間、Aを選んで“Aの世界”を進もうが、Bを選んで“Bの世界”を進もうが、実は大差が無いのではないでしょうか?
大事なことは、そのAを選んだこと、あるいはBを選ばなかったことを、ポジティブに捉えること自体なのではないでしょうか?
そういう意味で、その人生のその瞬間に出会った、占いしかり、人間しかり、モノコトしかり、その事実の内容自体がよく無いことか悪いことかはひとまず置いといて、その出会ってしまったという事実を、前向きに捉えるということが、一番一番大切なんだと思うのです。
例えばサッカーワールドカップの日本代表でいうなら、その試合に負けたということ自体を不運と捉え、嘆き悲しむのではなく、その人たちの人生にとって(あるいはそれをテレビで見ていた僕らの人生にとっても)、その瞬間負けを体験したことを、人生の価値と捉えるという生き方です。
この生き方がはたして正しいか? それは僕にもわかりません。
でもそう生きてきて、というかそう生き続けてきて、今の僕は少なくとも好きなことだけやって生きています。
好きなことだけやって、(とりあえず)生きていけてます。
僕は新月は、何かをはじめるタイミングだと、あらためて思います。
それは、最初は誰かのブログをたまたま読んだことがほんのささいな“きっかけ”だったに過ぎません。
でもそれ以来、毎月僕は、新月が来るたびに、気持ちを清々しく切り替えて、新しいことをはじめてみようと思うように過ごしています。
いいことも悪いことも、楽しいことも嫌なことも、大事なこともくだらないことも、それこそ日々起こりますが、それ自体を何かの“きっかけ”だと思って、僕は日々過ごしています。
何か“きっかけ”があれば、少なくとも僕らは何かをはじめることができるのです。
そして新しいことをはじめてみれば、それは少なくとも新しいわけですから、まだ失敗していません。いままで失敗したことがあったとしても、そのこと自体をうっちゃって、まだどうなるかわからない新しいことを、これから清々しい気持ちではじめてみることができるのです。
ならば、その新しいことがはじまる“きっかけ”が僕らの人生にあることの方が、全然無い日常より、はるかに人生を楽しく過ごせる“きっかけ”になるのではないでしょうか?
そんな“きっかけ”が、まあ毎日新しいことをはじめるのはなかなか面倒ですが(笑)、そう、ちょうど月一回くらいやって来るのは、ちょうどよくないですか?
そのツキイチの何かを新しくはじめるのにうってつけのちょうどよい“きっかけ”、それが新月なのです。
そして、この文章を今たまたま読んでいるあなたは、幸か不幸か、この文章と今この瞬間に偶然出会ってしまったことは事実なのです。あなたの必然なのです。
ならば、新しいことをはじめてみませんか?
ほんの“ささいなこと”でいいのかもしれません。
いやむしろ、“ささいなこと”がささいなきっかけこそが、人生を変えていくのです。
そしてそのささいな新しいことをはじめてみようとあなたが思ったという事実が、その後のあなたの人生の新しい世界を作るのです。
この僕の文章とみなさんとの出会いが、みなさんの人生を変える“ささいなきっかけ”になってくだされば、そんな嬉しいことはありません。
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