賢者は歴史に学ぶ。利己主義を変えた、幕末の「子供交換保育」

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時は幕末。当時の千葉県北総地帯は、「自分さえよければいい」という風潮が根付いており、村人の心は荒れていました。そんな土地で行われたのが、大原幽学の指導による「子ども交換保育」。当初は混乱もあったものの、この試みが人々の心を大きく変えたといます。無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、著者の松尾英明さんが詳しく紹介しています。

大原幽学の「子ども交換保育」作戦に学ぶ

ここ数回、戦争と平和をテーマに書いてきた。実際、一教師に、そんなに大規模なことはできない。やれることは、教室程度の小規模集団からのミクロな発信である。

要は、自分をどこにおくかで、「全体最適の規模が決まる。かなり小さい単位だと、家庭。最小単位は無論「自分」である。「今、自分さえよければいい」という部分最適。無意識に暮らしていると、全てがここになりがちである。

ここで、学級担任、あるいは家庭として考えるべきことがある。「自分の子どもさえよければいいという考えである。自分自身を子どもと同化してしまっている。これは、厳に慎むべき態度であると同時に、多くやってしまいがちな過ちである。

ここについて、興味深いエピソードを読んだ。次の本からである。

● 『歴史人物に学ぶリーダーの条件』童門冬二著 だいわ文庫

幕末の時代に、千葉県の北総地帯の礎を築いた、大原幽学という偉人の話が載っている。

当時のこの地方の村人には自分さえよければいいという気風が完全に染みついていたという。そのせいで協力体制がとれず、村全体は貧しく、人々の心も荒んでいた。

そこで、幽学は何を提案したか。「各家庭の子どもの交換保育」である。何と、各家庭の子どもを交換して育てさせろというのである。A、B、C、三人がいるとしたら、それぞれの子どもを

  • Aの家にBの子
  • Bの家にCの子
  • Cの家にAの子

というように、交換して育てさせようとしたのである。名主である遠藤伊兵衛という人物が、幽学に代わって村人に提案した。当然反対も出たが、やってみようということで、提案は実行された。

そして、すぐに混乱が起きた。まず子ども自身が帰りたいと騒ぐ。預かる側も、特に村で評判の「悪ガキ」担当となった家は、すぐにでも追い出したくなる。村人同士で「この家の子はいい」「この家の子は悪い」という、レッテル貼りが行われていた訳である。あまりの混乱ぶりに閉口し、伊兵衛は「やはりやめよう」と言ったが、幽学は信じて続けろという。

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