在NY18年で身に沁みた、日本人社長の「自分はナニ人?」感覚

 

在米歴で変わる「どちらから?」への答え

こんなことがありました。渡米して3年目か4年目だったと思います。ニュージャージーは、アトランティックシティーというカジノ街に遊びに行ったときのこと。ホテルのロビーにあるカジノ換金所で、ひとりの70代くらいの太ったおばさんが、ニコニコこちらを見てきます。おそらくは日本人。なんとなく目で挨拶をすると、人懐っこい笑顔で「日本人?」と話しかけてきました。

はい、と答えると、おばちゃん、いきなり「そおなのぉー♪」と満面の笑顔でハグをしてきました。「日本の人と話すの久しぶりなの!」と少し興奮気味で。で、「どちらから?」と聞かれたので、僕は「マンハッタンです」と答えました。どちらですか、と聞くと、「アタシは札幌なの」と答えられました。

聞くと、在米もう50年を超えていらっしゃるとか。日本には20年前に一度帰ったっきり。今はニュージャージーでドイツ人のご主人と暮らし、日本の友人も近所にはいないのだとか。50年住んでいるおばちゃんは「どこからですか」という質問に、20年以上帰ってない「札幌」と答えました。まだ渡米して3年しか経ってない僕は、意気揚々と「マンハッタン!」と答えました。

当時は、渡米したばかりで、世界の中心と言われるニューヨークのその真ん中のマンハッタンに暮らしている!と答えたい自分がまだいたのかもしれません。

50年以上、ニューヨーク、ニュージャージーエリアに住むおばちゃんは、おそらく、この国で外国人として、当時の僕が想像できないあらゆることを経験してきた。そんな人生を通過して、自身のアイデンティが、日本であり、そして、故郷の札幌だと(意識的か、無意識的なのかはわからないけれど)強く思うところがあった。人間、質問の問いには自分がいちばん答えたい答えを用意する

そう。この街に長くいればいるほど、自身が日本人であるということを良くも悪くも、強く意識することになります。僕も今なら、同じ質問に、確実に「瀬戸内海です」と答える気がします。(結局、ミシュラン三つ星レストランより、ほか弁のチキン南蛮弁当の方が美味いと思うし)

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