地に堕ちた「日本製」ブランドの信頼。日本人なら怒る権利がある

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スバル、日産と続いた燃費データの偽装、神戸製鋼の鋼材品質偽装、そして東洋ゴムの免震偽装発覚から数年経ってのYKBと川金によるオイルダンパーの試験データ偽装と、日本企業による「偽装」が次々に発覚しています。メルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さんは、「わざとことを大きくして発表していないか?」と、穿って見るのも仕方ない事態に陥っていると訴えます。堕ちてしまった日本企業の信頼を取り戻すために必要なものは何なのでしょうか?

日本企業による偽装のこと

昔、国産、即ちmade in Japanと言えば、信頼を証するものであった。だから、多少値が張ったとしても、電気や機械系の物は国産メーカー品を購入していた。この信頼が国外にも広がって行き、技術立国日本が生まれた

しかしここ数年、その信頼を裏切るような行為が多発している。重要産業においては、まず自動車メーカーが燃費データを偽装した。続いて鋼材、そして今度は免震装置である。

本来こういった卑怯な嘘がつかれる事情としては、その分野における二流企業がとにかく自社のシェアを伸張するためとか、あるいは三流企業が倒産を免れるためなどであった。言ってみれば、苦し紛れである。

ところが最近の事件はこういったものとは質が違う。どれもその分野における一流企業が起こしているのである。勿論、御家が大きくなればなるほど醜聞は隠したくなるものではあるだろう。しかし仮にも上場企業である以上は、社会に対して責任というものがある。責任は全うせず、権利は主張する。これを悪質と呼ばずして何と呼ぶか。

さらに穿った見方をすれば(こうも偽装事件が続くと、こういった見方も仕方なかろう)、わざとことを大きくして発表しているような気さえするのだ。

説明するとこうである。不正が長期間、広範囲に及ぶと、関係者があまりに多くなり過ぎて責任の所在が分からなくなる。いつ、誰が、どのように始めたのか特定できなくなるのである。よってその罪は少数に重く集中せず、多数に軽く分散する。どうせ無責任の誹りを受けるのならどこまでもといった開き直りである。

また、今さらどうにもならないというレベルにまで問題が大きくなると、今すぐにどうこうできるものではないということが誰の目からも分かるから糾弾の鋭さは結果鈍くならざるを得なくなる。諦めという心理の狡猾なる利用である。

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