仏教に、
忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざるところなり
という教えがあります。持戒苦行というのは、例えば千日回峰行のようなお坊さんの命懸けの厳しい修行のことを言いますが、日々体験するいろんなことを我慢する、耐えるということは、そうした宗教的な苦行も及ばないくらいに尊い修行であるということです。
私は幸いにして、能なしであったがゆえに耐えることができたんですね。これまでいろんな辱めにあってきましたけれども、もし幾らかの才能があったらとても我慢できなかったでしょう。逆に、中途半端な才能なんか持っていなくてよかったと思うくらいです。
創業時には、商品を売りに行ってもまず相手にしてもらえることはありませんでした。名刺も受け取ってくれない。取ってくれたと思うと目の前で破り捨てられる。バケツの水をかけられる。自転車を蹴倒され、積んでいた商品がそこら中に散乱してしまったこともあります。
それでも私は耐えました。だから今日こうして健全でおられるわけです。もしあの時に私が腹を立てて行く先々で喧嘩をしていれば、きょう皆さんの前に立つことはできなかったでしょう。
皆さんも
忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざるところなり
という教えを、ぜひとも心に刻んでいただきたいと思います。
image by: Shutterstock.com
ページ: 1 2