詰んだ日本。千葉の大停電で判った衰退の一途を辿る島国の行く末

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先日掲載の「台風15号被害で森田健作知事『誰が悪いわけではない』の無責任」で、台風による二次災害を「危機管理の失敗」と断じた米国在住の作家・冷泉彰彦さん。さらに冷泉さんは今回、自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』で、千葉県が襲われた被害により鮮明になった「我が国全体が直面する大きな問題」を指摘しています。

台風被災の千葉県に見る、衰退のストーリー

今回の台風15号による千葉県の被災については、読者の方から次のようなコメントをいただきました。

「いまひとつスッキリしないことがあります。日本は毎年のように台風被害が出る国であるにも関わらず、2週間経っても問題が一向に解決しないのは勿論千葉県の対応が悪いにつきますが、国全体が疲弊していることを象徴しているからだと思います」

これは私も強く感じていたことです。今回の経緯は危機管理の失敗ですが、その背景には、この問題があり、むしろこの「国の疲弊=衰退の問題が本筋のように思えてなりません。

この問題ですが、次のような理解をしています。

例えば、ある国(A国)が一人当たりGDPで2万ドルぐらいの中進国になったとします。まだまだインフラが整備されておらず、つい数年前までは完全に途上国で人権も弱ければ防災体制なども貧弱だった、それを少しずつ改善しているというケースを考えてみましょう。

一方で、日本の場合は一時は一人当たりGDPが4万ドルとか5万ドルという堂々たる先進国であった時期もありますが、現在は3万ドル台で低迷しています。

同じように厳しい台風被害にあったとして、A国の場合はまだインフラや体制が整備されずに、復興が遅れたりして政府が批判されることはあるでしょう。

一方で日本の場合は、先進国としての制度もインフラもできているわけです。ですが、国が疲弊し、地域別に衰退が加速する中では、「先進国型の制度やインフラかえって足手まといになるとか邪魔をする」ということがあると思います。

具体的に見て行きましょう。

まず基本的な部分としては、あらゆる事務作業がコンピュータ化されたり、情報伝達がネットや携帯回線中心になっているそのことが脆弱性になっているという問題があります。

勿論、東日本大震災の経験などから停電ということは想定していたわけですが、想定をはるかに上回る長期間の停電に対しては情報伝達にしてもライフラインの維持にしても全くの崩壊に至ってしまったわけです。

問題は、電気に依存するテクノロジーが使われていただけではありません。テクノロジーによる省力化によって、物理的な要員が削減され要員自体がいざという時には人力で実務のバックアップをするパワーは全く持たされていなかったということがありそうです。

例えばですが、館山市にしても、千葉県庁にしても、「どうもおかしい、これは大変なことになっている」と気づいた時点で、全域を人力で調査すれば被害の概況も判明したし、人命が危険にさらされている状況もある程度は把握できたはず、私もそう考えた一人です。

ですが、特に館山市などの場合は、「そのような要員もなかった」ようです。自転車や自動車でコミュニティをローラー作戦的に調査するどころか、殺到する電話への対応も十分でなかったのです。

要員の問題は、行政コストの資金が用意できていないということです。冷静に考えれば、「平成の大合併」というのは、何も「民間に比べて地方自治体が高給だったり、要員に無駄がある」から市町村を合併させてリストラしようとしたのではありません。

そうではなくて、引退世代ばかりの地域では、税収も極めて限定的な金額になる中で、行政を簡素化しないと自治体が破綻してしまうのです。そのようにして、広域合併が行われ、非常に脆弱な役所が非常に広域な地域を所轄するようになっている、そのことによる脆弱性ということも無視できません。

そうした電力依存のテクノロジー、その裏腹としての要員カットということが、今回は大きな問題として浮上したわけですが、問題はそれだけではありません。

電力に関しては、今回の停電の長期化については役所も世論も東京電力に対する批判を強めています。ですが、東電の社長や役員がこの問題で会見したことは恐らくないと思います。

というのは、今回問題を起こしたのは東京電力ではないからです。

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