「発展途上」ではない。日本を衰退途上国に落とした5つのミス

 

恐ろしいのは、結論の部分です。この「2020年の警鐘~日本が消える」が指摘している「日本が消える」ということの意味ですが、成長率が低下して国際経済における日本の存在感がかすむことが最大の問題で、それを「日本が消える」という表現で警告しているわけです。

具体的には、この本の236ページから237ページでは、1990年には世界のGDP総額に占める日本の割合が13.9%であったのが、このまま「構造改革が進まずに現状を放置」した場合には、2020年には9.6%になってしまう。このことを「日本が消える」と表現して危機感を訴えているのです。

では、現実はどうなったのかというと、現状は5.9%」です。つまり、1997年の段階では、2020年には9.6%になって「日本が消える」から大変だと言ってたわけですが、現実には2019年には「5.9%」になってきているわけです。更に人口減と競争力喪失により2050年には2%になるという予測も出ています。

つまり1997年の人々の感覚からすれば、日本経済は「消える」どころか「なくなっているに等しいわけです。そう考えると、この「2020年の警鐘」という本(日経の連載記事)の呪いというのは大したことはなく、その23年前の呪いに縛られていたというよりも、日本経済には更に強い「自縛」とでも言うべき呪いがかかっており、そのために経済が「消えた」と言って良いと思います。

ところで、この実際の2020年にはそのような「経済が消えた」という論調が急に増えてきました。成功の味覚を知っている世代がどんどんリタイアしていて、文句を言われることが減ったということもありますが、衰退という事実が隠せなくなっている中では、「日本は途上国になったとか先進国ではないという言い方がごく自然になったということがあります。

この種の「日本は途上国になった」論については、2つ指摘しておかねばなりません。

1つは、「途上国になった」という指摘は必ずしも正しくないということです。途上国というのは実は省略した言い方で「発展途上国」という意味ですが、日本はこれには当てはまらないからです。何故ならば、日本は「発展の途上」ではなく、「縮小・衰退の途上」だからです。

この区別というのは重要です。なぜならば、人類の史上の中でこれだけの規模の経済が、これだけのスピードでまっすぐ衰退の方向へ突っ走っているという例はないからです。具体的に言えば、1990年前後をピークに、30年間ずっと一直線に衰退している、これは非常に珍しい事例です。また、衰退の前に明白な繁栄があったというのも珍しいです。

勿論、そこには可能性もあります。成功している部分、かつて成功していた部分を大切にして、それを広げていく中で全体を再度繁栄の方向に転換することはできるかもしれません。ですが、過去30年、それはできなかったという事実は重たいものがあります。

そうではなくて、衰退途上国には独自の問題があります。1つは、過去の成功体験を記憶しているために、いつまでも「昔の発想の延長で考えてしまうという愚かさです。それとは別に、諸外国がまだまだ日本の経済力を当てにしているので、「貧しくなったのにODAを出し続ける」とか「外タレのギャラが高い」とか「TVの放映権料を吹っかけられて結局は中継できない」といった情けない状況が生まれたりもします。

最大の問題は、先進国時代の「贅沢な安全基準」「大き過ぎるインフラ」「要求の高い市民や消費者」といったものを抱えているために、ただでさえ過大となっている社会維持のコストが重くのしかかっているという問題です。これは、昨年秋の台風15、19、21号でイヤというほど思い知らされた問題です。

とにかく、全体が大きく沈みつつある中で、部分的に過去の先進国時代の制度やインフラが残っていて、これが悪い作用を起こしている、その一方で過去の成功体験の延長上でしか発想できない…これが「衰退途上国の特徴であると言わざるを得ません。

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