論点がズレている。死者数ばかり煽る日本の新型肺炎報道の違和感

 

その一方で、日本での国会論戦では検査キットの増産の話が出ていました。勿論、大事だし、しっかりやって頂きたいと思います。ですが、テクノロジー先進国で、理数系の国民の教育水準も例外的に高い日本で、どうして治療薬の開発の話が話題にならないのかというと、別に日本の製薬メーカーさんが「降りて」いるからではないと思います。

そうではなくて、日本勢にしても、こうした新薬の開発、特にスピード感の必要な開発というのは、日本では難しいからです。新薬を開発する際に必要な治験、つまり医師、医療機関、患者の3者がしっかり同意して、協力体制を組んで、新薬の無害性、あるいは有効性を実証していく試験というのは、日本では非常に難しいのです。

そこにカネが絡めば批判される、失敗すれば本人や家族が同意していても批判される、といった傾向の中で複雑な規制があるからです。ですから、これだけ世界中が頑張って戦っている状況の中でも、日本では国会論戦で「マスクを24時間体制で作れ」とか「検査キットを増産せよ」といった、それはそれで重要ではあるものの、肝心の治療薬の話では「ない」話題ばかりが進むのです。

先週の日本では、チャーター機で帰国した方の中で、「検査拒否者が2名」出たというのが話題になりました。正確に言うと、検査を拒否して自宅に帰ったのが2名、その他に自宅に直行した人が1名いたようですが、その事情がよく分かりません。

そんな中で、2名の人には批判が殺到して、結果的にその人達は検査を受けたようですが、どうもスッキリしない話です。

まず、アメリカは軍事基地に隔離、オーストラリアは絶海の孤島に隔離しているのに、日本は任意検査で「けしからん」という大合唱が起きていますが、これは違います。アメリカが基地での隔離をしているのも、オーストラリアが孤島での隔離をしているのも事実ですが、この両国の場合は「強制」ではありません。

法律上は「任意」という枠組みで行なっているということでは、別に日米豪何も変わりはないのです。そこを省略して報じるのは正確ではありません。

それにしても、検査を拒否して、しかも「ビデオを撮る」と言ったので係官が諦めたというのも妙な話です。問題なのは、そうした態度ではなく、動機を含めた事情です。

例えば「家族の介護が必要」とか止むを得ない事情があるのなら、批判するにしても、それはそれで「そういう例だ」として対応すべきです。本人に(肺炎の重症化とは無関係な)持病なり障害があって、帰宅という選択をせざるをえなかった、そんな可能性もゼロではありません。

また会社などの都合でどうしても出勤してもらわなくては困るという事情があったとしたら、批判されるべきなのは本人ではなく会社(官庁?)ということになります。

これも仮の話ですが、本人が「チャーター便帰国者と行動を共にするのが怖い、一刻も早くそのグループから逃げたい」という考え方にとらわれていた可能性もあります。それならそれで、説得の論理等も変わるし、批判のアプローチも違って来るのではないでしょうか。

そうではなくて、本当に「反権力」とか「強制されるのがイヤ」という理由であったとしたにしても、その場合は、武漢での声掛けから始まって、検査について、どのような「条件」でチャーター便に乗せたのかを検証し、その上で、より精度の高い対応になるように改善点があれば改善ということになると思います。

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