筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性に対する嘱託殺人容疑で2人の医師が逮捕された事件は、社会に大きな波紋を投げかけました。ALS患者の「安楽死」を巡る議論について、違和感と憤りを表明するのは、メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』著者の河合薫さんです。河合さんは、健康社会学者として、今回のALS患者が抱いた「死にたい」(世間からの「安楽死させてあげて」という意見)の気持ちに共感するよりも、その裏側にある「本当は生きたい」という心の叫びを聞いてあげられる社会を目指すべきでは、と呼びかけています。
「死にたい」は生きたいメッセージ
今回は、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者(当時51)に対する嘱託殺人容疑で医師2人が逮捕された事件を取り上げます。事件後、「安楽死」についてさまざまな意見が飛び交い、某元都知事にいたってはALSを「業病=前世の悪事」と表現するなど、個人的にはこういった事件への反応に違和感と憤りを感じてきました(元都知事はのちに謝罪)。
ALSという病を私が初めて知ったのは、大学院に進学してからでした。先輩の一人がALS患者を対象にした研究をおこなっていて、
- ALSが中高年層で発症することが多く,運動神経が徐々に侵される進行性の疾患であること
- 原因と治療法は解明されていないこと
- 世界的に患者が増加傾向にあること
- 通常2~4年で呼吸不全に陥るが、人工呼吸器を装着すれば生きることが可能であること
といった基礎的な知識を知りました。
さらに、患者さんは発病後に、
- 倦怠感や脱力感などの身体的苦痛を経験すること
- 仕事と収入、社会的地位と役割、従来の良好な人間関係など社会的な役割機能を失うこと
- 人工呼吸器を装着していない比較的障害が軽度な ALS患者でも、7割の人が抑うつ、絶望感、アイデンティティの喪失を経験すること
など、この病気の発症が患者さんの心身に「社会的ダメージ」を大きく与えることを学びました。
そういった患者さんたちの「生きる力」を引き出し、彼ら彼女たちがほんのちょっとでも前向きに、「生きてるっていいね」と思える環境要因を探り実行に移すのが、健康社会学に関わる研究者たちです。
そのためには実際に患者さんと接し、彼ら彼女たちの声に耳を傾け、寄り添い続ける必要があります。残念ながら私は直接ALS患者さんの“となり”に立った経験はありません。しかし、私も研究者の一人として、ナマの声に耳を傾け、人の「生きる力」を引き出す社会環境を模索し、さまざまな形で発信してきました。
私がフィールドワークのインタビューを20年近く続けているのも、「ナマの声」に接することの大切さを痛感しているからです。それでも苦悩を抱える人を100%理解するのは難しいです。彼らの言葉には紡がれない「心の悲鳴」に寄り添うのはとても難しい。ですから、今回の事件を「生」ではなく、「死」に結びつけるのは合点がいかないのです。