人間の「かけがえなさ」の本質は「できないこと」と見つけたり

shutterstock_1562124124
 

9月20日に開催された日本学術会議主催のフォーラム「生きる意味 コロナ収束後の産学連携が目指す価値の創造」には、多くの人文学系の識者が登壇し、「希望学を必要とする社会」「生きるための哲学」などのテーマで講演が行われました。メルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者で、さまざまな支援活動に従事する引地達也さんは、産学連携しての人材育成や創業支援などを議論してきた会議が、人文学の視点からアプローチしたことを評価。人間は「できない」存在であり、「できないこと」にこそ尊厳があるとの気づきを伝えています。

「できないわたしたち」という尊厳こそが新時代の希望である

9月の連休中、日本学術振会議主催の学術フォーラム「生きる意味-コロナ収束後の産学連携が目指す価値の創造-」が行われた。私がその言動に注目している社会学者、哲学者、宗教学者や技術者がコロナ時代に「生きる意味」という根源的なテーマで話すのに惹かれたのもあるが、「人文学」の重要性を国が認識し、政策として位置付けている中にあってのフォーラムは、おそらく今後の「生きる」ための学問領域にも大きな影響を与えてくる、との予測と期待が先走った。

フォーラムの主旨には明確に「第6期科学技術・イノベーション基本計画の中で人文科学に期待する動きが強まっている。そこで、今回は哲学を中心とした人文学の考えに、科学技術や産業界が関わる立場で議論することにし、その実行のために科学技術・イノベーション基本計画についても討論を行う」のであるから、期待は高まる。さて、技術偏重の「イノベーション」概念に人文学の考えが融合する時が来た、のだろうか。

私自身、みんなの大学校の英語名を「Minnano College of Liberalarts」としているのは、1つは私自身が社会科学系の人間であり人文学の視点から教育を行っていくことが前提であること、もう一つが人文学の学びが障がい者や要支援者にとって「生きる」につながる知の領域だと考えるからである。

しかしながら昨今の技術優位で生産性を絶対視する風潮は、要支援者を直接的に最短で就労させ、タックスペイヤーにすることを目的化し、そこには教養や教育が馴染まないもどかしさを感じていた。

フォーラムでは、あいさつに立った同会議会長の山極壽一・京都大学総長が新型コロナウイルスによる価値観の転換を指摘したが、そのひとつに「人間の暮らし」を根本的に問う視点を示した。この視点に加えて哲学者の出口康夫・京都大学教授の力強く、鼓舞されるような言葉に出会う。それは人間は「できない」からこそ「弱く」「かけがえのない」存在であり、それが「人間の尊厳」であるとのコペルニクス的転回の考えだ。

出口教授によると、AIが人間の知的能力を凌駕するシンギュラリティ(技術的特異点)により、生産現場で人間が失業してしまう世にあって、科学知ではない人文知としての人間は「できない」存在である。

print
いま読まれてます

  • 人間の「かけがえなさ」の本質は「できないこと」と見つけたり
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け