しかし、度々書いているように、依存と自立は対極にあるわけじゃないのです。自立とは依存の先にこそあり、唯一無二の「自立」などこの世に存在しません。誰もが、何かに、誰かに依存している。自分の知識や能力と信じているものでさえ、他者が深く関係し、支えられている。なのに、それを認めない。依存する人=弱い人、ダメな人。そうやって切り捨てる社会が、今、ここにある。
菅首相が「自助、共助、公助」と順序をつけたことについても、「批判している人は間違っている」「社会の自然なあり方」などという意見が散見されました。
誰もが同じスタートラインにいるならまだしも、そうではないのです。家族がいて当たり前、家があって当たり前、明日の生活を心配しなくて当たり前の社会ではなくなっているのに、いまだに「幻想」にかられた社会のカタチで動き続けている。
「本当の意味での国民経済とは何であろうか。それは、この日本列島で生活している1億2,000万人が、どうやって食べどうやって生きて行くかという問題である。その1億2,000万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である」
これは大蔵官僚時代に「所得倍増計画」を立案し、高度成長の政策的基礎のプランナーとして活躍したことで知られる下村治さんの言葉です。
下村さんは、石油ショック以降は「安価な資源が無制限に安定供給されるという『成長の基盤』はもはやなくなった」と喝破し、ゼロ成長論を唱えた経済学者でもあります。
国民経済とは何か?政治家とは誰の、何を、どこを見て、どう政策を立案し、動くべきなのか?かっこたる政治哲学をもたない政治屋が大手をふるっている社会に、どんな未来があるのでしょうか。
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image by: Carpkazu , CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で