飲食業者への配慮は皆無。ワクチン「職域接種」で崩壊した公平性

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7月7日、政府は東京都に4度目の緊急事態宣言を発出する方針を固めたと伝えられました。これによってお酒を伴う飲食業に携わる人たちはまたしても塗炭の苦しみを味わわされることになります。そして、これらの人たちをさらにガッカリさせているのが、ワクチンの「職域接種」です。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、仕事の内容によらず、規模で申請可否が決まるこの「職域接種」の仕組みが成熟した社会に必要な“公平性”のカケラもないことを指摘。本当の意味での弱者救済策を打とうとしない国に絶望しています。

平等と公平のこと

もう1年以上も前のことになるが、最初の緊急事態宣言の発出に合わせて、全国民に「平等」に定額給付金10万円が配られた。平等の最大の長所は人を選ばないというところである。故にスピード感が出る。危急の時にはひとまずこれでいい。

ただその「平等」には致命的な欠陥がある。それは不公平であるということである。「平等」と「公平」はそれぞれの熟語を構成する漢字を見ても何となく似たような意味を持つように思えるが決して共起しないものなのである。先の10万円も世帯年収200万円の家と、2000万円の家ではその価値が全く違う。もともと存在する1800万円の年収差を無視して給付される10万円は確かに「平等」だが「公平」では決してないのである。

比喩はあまり好むところではないけれども説明のために敢えて用いると、塀を越えるのに身長の高低を無視して全員に同じ高さの踏み台を与えるのが「平等」で、身長の高低差を考慮して、与える踏み台の高さを調節するのが「公平」である。ざっくり言えば、スタートを等しくするのが「平等」でゴールを等しくするのが「公平」なのである。

言うまでもなく我々の社会は「平等」を基礎にして成り立っている。人命、人権、選挙権等、基本的なものほど平等である。敢えて悪意をもって説明すれば平等の原則とはそれ以上思惟してみたところで社会を維持するのには何の役にも立たないから、その思考停止ラインを暗に示したものとも言えるのである。「平等」は決して哲学ではないのである。

その「平等」を基礎に、社会をより安定的に構築するのに必要なのが「公平」性なのである。前述の通り、公平とは踏み台の調節のことであった。つまりは程合いの計算である。「公平」は数学なのである。そして数学である以上、それは観念的なものではなく実践的なものなのである。この数学的テーマをより緻密に計算できている社会ほどより成熟した社会なのである。日本はこれが絶望的に下手である。

目下の話題から一例を挙げると、ワクチン接種がそうである。言うまでもなく、ワクチンは平等に与えられている訳ではない。そこには優先順位が設けられている。第一は医療従事者であった。これは医療体制を根幹で支えなければならないという社会的要請と最も危険な環境に身を置かざるを得ないという疫学的理由から全国民が納得の決定であろう。

第二は高齢者や基礎疾患保有者であった。これは一たび感染すれば高い確率をもって重症化してしまうという生物学的理由からであった。これも納得である。

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