IOCバッハの狙いはノーベル賞?五輪開会式「元ラーメンズ小林氏解任劇」のウラ

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会場に派遣された外国人記者たちからは、厳しいコメントが続出した東京五輪の開会式。国内でも賛否両論を呼んだこの式典ですが、海外に住む邦人はどのように見たのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、メルマガ内で4つの観点から開会式を分析し解説。中でも「1972年のミュンヘン五輪で、PLOテロリストに殺害されたイスラエル選手団」への黙祷について「驚愕」とし、その理由を詳述しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2021年7月27日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

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驚愕の黙祷事件、バッハはノーベル平和賞を狙うのか?

今回の五輪開会式で、最も驚いたのは黙祷の部分でした。確かに、コロナで犠牲になった人々への黙祷というのは意味があるでしょうし、そこに五輪アスリートの犠牲者への思いを重ねるというのも、別に不自然とは思えません。

ですが、大音量の場内アナウンスで「in particular(特に)」ということを2回も重ねた後に、「1972年のミュンヘン五輪で、PLOテロリストに殺害されたイスラエル選手団」への追悼という話が出てきたのには、驚きました。

この問題ですが、実は以前から複雑なストーリーが積み重なっているのです。まず、1972年のテロ事件については、これは大変に凶悪なテロでした。パレスチナのテロ組織「黒い九月」のメンバーが、こともあろうに、五輪の会期中に選手村を襲撃したのです。

犯行グループは、イスラエルの選手団を人質に取って籠城しましたが、これに対して、ドイツ政府(実は地元警察が主力)側は強行突入を行ったもの、作戦は失敗、結果的に人質11名が殺害され、実行犯の多くは逃亡するという結果となりました。

ストーリーはこれで終わりません。こうした結果に激怒した当時のイスラエルの総理大臣、ゴルダ・メイアは、報復として「黒い九月」のメンバー全員を殺害する作戦を指示したのです。つまりテロリストの全員を報復のために暗殺するというのでした。

この経緯に関しては、スチーブン・スピルバーグ監督が映画『ミュンヘン』という傑作映画にしており、これによって報復テロの是非というのは、大きな歴史上の問題となっています。

さて、このイスラエル側の遺族は「五輪選手が五輪会期中に選手村で殺害された」のであるから、オリンピックの公式の席上で追悼をして欲しいということを、かねてから強く申し入れてきていました。ちなみに、私の調べた範囲では、遺族の多くは「メイア首相の報復テロ」には賛成していないそうです。

特に期待が高まったのは2012年のロンドン五輪でした。何よりも事件から40年の記念の年ですし、ミュンヘンと同じ欧州での開催ということで、このロンドンで犠牲者への追悼を行うのは相応しいというのです。ところが、当時のIOC会長のジャック・ロゲは、この意見を無視しました。

バッハ会長は、当時はIOCの副会長でしたが、この時に「追悼を行わない」という判断に影響を与えたとして批判されています。

その批判の中で、バッハ会長が以前に「ゴルファ・アラブ・ドイツ商工会」という団体の会長をしており、またカタールの財閥とも懇意であることから、どちらかといえば「親アラブ」的とされていという問題がありました。だからイスラエル選手団の犠牲を追悼するのに消極的だったという説明がされていたのです。

そこで、バッハ会長にはかなり多くのプレッシャーがかかった状態となり、2016年のリオ五輪では、「さすがに追悼をやるのではないか?」という観測もありました。ですが、2016年にも追悼は見送られました。

勿論、建前としては「テロという極端に政治的な事件を開会式などに持ち込むのは、五輪憲章の精神に反する」という説明がされていました。ですが、バッハ会長に対しては、前職が「アラブとの通商を促進する商工会の会長」だった事実は消えない中で、「だから追悼に消極的なんだ」という批判は絶えなかったのです。

ただ、バッハ氏としてはタイミングは狙っていたのだと思われます。というのは、例えば以前この人は、ロシアのプーチンとの癒着を散々批判されていた時期がありました。ですから、ロシアが国ぐるみでやっているドーピングの実態に対しても、かなり甘い対応をしていたとして厳しく言われていたのです。

ですが、最終的にはロシアに対して「国としての五輪参加の停止処分」に踏み切ったわけで、「お友達関係」をズルズルと引きずるのではなく、切るとなったらタイミングを見て切ることはやる、そうした人物であるということは言えます。

ですから、今回の「イスラエル選手団への追悼」というのは、バッハ氏として悩んでいた長年の問題にとりあえず終止符が打てたということになります。そこで、問題になるのは、仮に、商工会時代の、あるいはそれ以前からもアラブ寄りの財界人として有名であったバッハ氏としては、やはりカタール人脈とか、色々な「しがらみ」があったはずです。

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