なぜ、“凡人”だと嘆く人ほど美術館や博物館に足を運ぶべきなのか?

 

一流の仕事をした人の人生には、私のような凡人には存在し得ないストーリーがあるモノで、それを味わうことで、その人物から立ち上がるオーラの色が理解できるというか、輝きの根源が見えて来たりします。

これは芸術作品でも同じで、私はその作品のウラ側にあるストーリー(ウンチクとも言いますけど)を調べるのが好きです。音楽なら、この曲はどういう背景で、いつ、どんな感じで作られて、その評価が時代の変遷に合わせてどう変化したのかみたいなウンチクが好き。それはそれを知ることで、その作品に対する理解が深まるからです。

それを繰り返していると、芸術品の背後にある真善美の感覚がなんとなく分かって来ます。その感覚を私は「馴染む」と表現しているんですが、まさに馴染む、側にいても違和感が無いというか、肌にスッとフィットするというか、近くにいると心地良いというか、その状態から得も言われぬ滋味を感じる、そんな感覚なんです。

この感覚がいつ、どのように役に立つのかというと、理屈では判断することが難しい岐路に立った時だったりします。特に、どちらに進んでも科学的には、法律的には、頭で理解できる範囲での理屈では問題ないけど、どっちを選ぶ?という時に、私は一流のオーラに近い匂いというか、肌触りというか、心地良い感覚を感じられる方を選ぶようにしています。

現代人はこの、目に見える評価軸で判断したらどちらも同じという選択肢があった場合に、より優れている方を選択する力が衰えているんですよ。それは機能とかコスパというモノサシで測った場合に優劣が付けられないからです。普段からこのふたつを使って何かを評価する癖が付いている人は、そのモノサシではどちらも同じ価値があるとなった場合に、そこから先は選びようがなくなるんですね。

ところが両者には明確に違いがあるどころか、実は片方は地獄へ通ずる道だったりします。

そういう時に頼りになるもうひとつの感覚って、一流に慣れ親しんだ人が持っていたりするんです。一流のオーラを感じられる人にとっては、そのような岐路で正しい方を無意識に選べるんですよ。

私はまだまだでして、数年に一度大いに反省する場面がやってくるわけですが、それでも以前に比べたら遥かに打率が良くなりました。そのことと、私が美術館や博物館に通うようになったタイミングとが不思議と一致しているんですよね。

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【著者】 佐藤しょ~おん 【発行周期】 平日刊

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