教員らの暴走
2018年5月2日、Aさんが小学2年生のときである。
この日、遠足が中止になったが、映画鑑賞の時間があった。こどもにとっては楽しみな時間だ。
しかし、AさんらBから加害行為を受けている被害者らにとっては、地獄のような時間になったのだ。
映画鑑賞の時間、Aさんらは、教員らに呼び出されていた。これまで、Aさんらは、学校にいじめの被害を訴え続けていたから、きっと先生が助けてくれるんだと思ったそうである。
B(加害者)、Aさんら被害者は、映画鑑賞会が行われた体育館の外に呼び出され、教員らから、被害者側に「Bに何をされたか?」Bの面前で言えと迫ったという。
教員らは、加害者にはそれに対して謝らせようとしたとのことであったが、Aさんらによれば、事実は、教員らは被害者らに対して「あんたらが仲良くしないのが悪い」と言い放ったという。
つまり、助けを求めていじめの被害を申告した被害者らは、助けてくれるはずの先生らから、「加害者に謝れ!」「お前らが悪い!」と言い放たれたのである。
こうした事態に対して、担任らと教頭は、保護者への説明として「全く関係のない事でも、謝らせることが教育です」と保護者に言い放ったという。
ここまで読んで、訳が分からないという感想を持つ読者もいることだろうが、直接話を聞いた私も、はじめてきいた時は登場人物を混同したし、何度も確認をした。
率直に評価するならば、異常ないじめと異常な学校の対応が続いていたのである。
校長の嘘
さらに、その後校長が被害者ら保護者を呼び出して、校長室でBに対して指導をして、Bの保護者にも伝えたとの説明をした。
校長は、指導としてBに被害者らに「接触するな」と言ったということであるが、その後、学校にきたBの保護者は泣きながら「うちの子のせいなん?」と言って学校を訪問したと説明した。
しかし、その場をAさんら保護者はしっかり目撃していたのである。実際は、Bの指導に不満を持ったBの保護者が、学校に怒鳴り込んできたのだ。
これを指摘されると、校長は「話している途中でBの保護者は涙ぐんでいた」と説明をすり替えたのだ。
当初の校長の説明では、BもBの保護者も反省して、泣きながら学校に謝りに来たというニュアンスだ。しかし、実際は、Bは納得ができず泣き、Bの保護者は学校に怒鳴り込んで、抗議の間、感情が高ぶって涙ぐんだのだ。
また、校長は下校時のBの加害行動から、Bに対してAさんらに「接触するな」と指導したはずなのに、Bの保護者にはこうした説明をしていなかった。
理由は、直接確認できていないから、であった。
直接確認できていないことで指導はしても報告はしないのである。
こういう対応を「詭弁」というのだ。
こうした詭弁を入学当初から聞き続けていた被害保護者らは、「また嘘か!」「また言い訳か!」と思ったに違いない。
ちなみに、小学1年生の時の用水路に降りるように強要した事案を、学校は認めなかったが、学校側は独自の調査によって複数の目撃証言を得て、事実自体は認めた。
ただし、加害児童が「ミッションであった」などと言い訳をするなどしたため、「いじめ」ではなく「遊び」の延長だと捉えて、いじめについては認めなかった。
ちなみに、この経緯をみる限り、この判断は、いじめ防止対策推進法違反である。
なぜなら、いじめ防止対策推進法第2条定義にある、「一定の関係性」「行為」「被害側の心身の苦痛」という要件をすべて満たしており、加害側が後から下手な言い訳をしても、それ自体が法律の定義を否定する要因には、当然になり得ないからだ。
つまり、これは学校側の法律違反行為であると同時に、保護者にも児童にも不誠実な対応をしたということのみならず、加害側児童の更生を阻害するという教育の機会を喪失させたことを意味するのだ。
「誰得?」という事態であるが、結果こういう嘘はバレるわけだから、誰も得をする事はない。
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