音楽史に残る派閥争いも結局「内向派」と「外交派」の争いと思う訳

 

内向派の人に関わっていく外交派の人々

で、当時圧倒的な人気を誇ったリストは大変寛大な人で、年中、シューマンを誘ったり、家に来たりしてますが、シューマンにはそれが重荷になって行きます。クララは日記にこう書いています。

リストが訪れてくる度に、家の日課は乱れてしまう。彼はすべての人を永遠の興奮状態に追い込んでしまうのだ。
クララ・シューマン、真実なる女性 完全版 Kindle版より。以下同)

さらにシューマンとワーグナーとの関係もぎこちないものでした。シューマンがドレスデンに引っ越したとき、ご近所で散歩でワーグナーと一緒になるのですが、ワーグナーはひっきりなしに喋り続けており、内気なシューマンはその「饒舌さ」にうんざりしてしまいます。

シューマンはいつもワーグナーの「饒舌」に恐れをなし、ワーグナーはまた、この驚くべき「無口な人」の心には、彼には触れ難い世界があることを感じるのであった。

 

シューマンは、一八四五年十月二十二日付のメンデルスゾーンヘの手紙に、ワーグナーはまた新しい歌劇を書きました。確かに賢い男です。逞しい考案を持っているし、無制限に大胆です。貴族階級の連中は今だに『リエンツィ』に騒いでいます。しかし彼は美しい旋律を、四小節と続けて書くことも考えることもできないでしょう。

 

と書いているが、「タンホイザー」の上演に列席したシューマンは、ワーグナーの持つ演劇と音楽の調和と、一種の強烈な迫力等を認め、彼の特殊な稀なる才能に感嘆するのであった

嵐のような性格のリストやワーグナーと付き合うこと自体、小さな家庭に喜びを見出すタイプのシューマン夫妻や、貧しく育ち孤独を愛したブラームスにとっては苦痛だったんだと思います。

ハンブルグ生まれのこの素朴な青年は、大リストを囲んでいる貴族的な豪華な、社交的な空気になじむことができなかった。音楽が最も私的な内的生活の叫びであり、夢であり、同時に生活の手段であったブラームスにとって、音楽が社交と結びついているワイマールの雰囲気が理解できなかった。

シューマンのパーティーにリストが突然やってきて、メンデルスゾーン(ユダヤ系)の悪口を言い出し、シューマンが珍しく激昂した話が出てきます。

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