音楽史に残る派閥争いも結局「内向派」と「外交派」の争いと思う訳

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人間同士にはさまざまな揉め事が起こりますが、その中身を突き詰めてみると、「外交的な人」と「内向的な人」の間で起きていることが多いようです。今回のメルマガ『東南アジアここだけのお話【まぐまぐ版】』では、マレーシアに11年以上滞在する文筆家で編集者の、のもときょうこさんが、放っておいてほしいのに“良かれと思って”誘ってくる「外交的な人」の厄介さを指摘。音楽史に残るブラームス派とワーグナー派の争いも、音楽性より社交性の違いが根本にあるとの見方を示しています。

「外交的な人」「内向的な人」は交わらない方が幸せかも

日本でもマレーシアでも、とにかくよくある揉め事が相性によるトラブルです。日本人同士でもマレーシア人同士でも見かけます。「社交は人数と回数が多ければ多いほどいい」と思ってる人と、「一人でいたい」とか「ごく少数の人との関係があればそれでいい」と思っている人、合わないんです。

「外交的な人」と「内向的な人」は交わらない方が幸せだよなーと思います。今風にいうと、「陰キャ」「陽キャ」かもしれません。「モテたい」「友達がたくさんほしい」と思ってる人は多分前者です。「孤独でOK」「家族がいればOK」と言ってるのは後者です。後者には「モテ」なんて面倒なだけです。

「みんなにモテたい、誰一人にも嫌われたくない」という人がいます。でも、パートナーは1人いれば、その後のモテとかいらんし、友達は少数でも問題ありません。むしろ苦手な人、めんどくさい人が周りにいると苦しくなるばかりなので、「苦手な人にはちゃんと嫌われた方が人生楽だよ」と言いたいです(野本響子Twitterより)

トラブルは、外交的な人が内向的な人を誘うことでよく起きる

マレーシアでも、前者が後者を無理やり誘ってトラブルになるケースが多いです。私もパーティーやママ友の集まりが苦手で、途中で帰ることも多いです。何度言ってもしつこく誘われて、恥ずかしながら大喧嘩したこともあります。

ところが、先方は、良かれと思って誘ってくれてるため、話が噛み合いません。「陽キャ」な人は、もともと「たくさんの人にモテた方がいい」「人脈は多い方がいい」と思ってるのに、後者は「放っておいてくれるのがありがたい」と思ってるんです。

この争い、実はあちこちで起きているなーと思っていて。19世紀音楽史に残る大きな争いがありましたが、まさにこのパターンかも。

音楽史にもあった「内向派」と「外交派」の争い

有名な19世紀のブラームス派vsワーグナー派の争いです。公式には、絶対音楽(純音楽)対未来の音楽(楽劇)であり、自由主義者の親ユダヤ派(ブラームス・シューマン)とドイツ民族主義で反ユダヤ派(ワーグナー・ブルックナー)の争いでもあったようです。

しかし最近伝記などを読み返してみると、政治や音楽性の前に、勝手ながら、これも「内向派」と「外交派」の争いな気がするんですね。

シューマン夫妻・ブラームスは、静かな人間関係を好む人たちです。シューマンは、「家庭と音楽があれば何もいらない」と言って、実際にその通りの生活をした人でした。子どもは8人もいて、ほぼ家から出ずに静かな生活を好んだ人です。ブラームスに至っては独身主義者でした。

一方、リストはサロンで騒々しく派手に生きるのを好む人でした。愛人を囲ったり、豪華なパーティーを好んだようです。ワーグナーも他人の奥さんを取ったり、匿名で自分を褒める手紙を書いたり、浪費家で借金を踏み倒したり、政治演説したりしてます。

どうですか。なんか近くないでしょうか。

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