【客観的評価】
直接、あなたにほめられるよりも、「第三者」というフィルターを通して、「伝聞」の形であなたがほめていたという「報告」を聞く方が、「信憑性」や「公正性」が高いと感じられるのです。
別の言葉で言えば、ターゲットのいない所で、ターゲットにそれが伝わるかどうかも定かではない状況で、語られた内容は、「お世辞」や「よいしょ」ではなく、あなたの「本音」に近いものであり、「客観的評価」であると受け止められやすいのです。
また、当人の耳に届く前に、そうした「良い評価」を多くの人が「共有」しているということも、当人にとっては嬉しいことです。
つまり、私たち人間は「社会的存在」であり、多かれ少なかれ「みんな」や「世間」の評価に左右されやすい存在なのです。
また仮に、ターゲットが「世間の評価」などは無視できるような意志の強固な人物であったとしても、自分のことを「客観的」に「評価」してくれる「理解者」がいるということはとても嬉しいに違いありません。
いずれの場合でも、「陰ほめ口」は、その発信者と受信者の間に特別な「信頼関係」を築いてくれます。
ですから、昔からサラリーマンの間では、「苦手な上司」との関係改善を図りたければ、この「陰ほめ口」を使うべきという教訓が、先輩から後輩へと伝承されて来ました。
その場合、無理をして苦手な上司の「全人格」をほめたり好きになったりする必要は無いのです。
たとえその上司がどんな嫌な奴であったとしても、一つや二つは何か「長所」や「得意技」を持っているはずです。
そうした「長所」を見つけ出して、それを具体的なエピソードを交えて誰かに話すと効果的だ、というわけです。
たとえば、「○○課長は、一見怖いけど、本当は部下思いの優しい人だ」と飲み会の席で仲間に話すのです。
エピソードがあれば、さらに強力です。
たとえば、「俺が仕事で失敗した時に、恐ろしい勢いで叱られた。でも、その後、部長に対して、『あいつは頑張り屋で見込みがある。必ず今回の失敗を取り返すはずです』って俺のことを庇ってくれた。俺、涙が出たよ」といった具合です。
ここまで重い話でなくとも、「○○課長は本当に勉強家だよ。毎朝、電車の中で『日経』に眼を通してる。俺も見習わなきゃ」といった軽い話でも良いのです。
いずれの場合でも、こちらが「本音」で評価していることが織り込まれているという点がミソです。
古来、「士は己を知る者のために死す」という言葉があるように、人にとって、自分に「理解者」がいるということは無上の喜びであり、自分が大切にしていることを「認める者(知る者)」のためなら命さえ投げ出すのです。
【仲人口(なこうどぐち)】
ただ、私たちが注意すべきなのは、この憂き世には、悪魔の心を持った人間はいくらでもいて、彼らは平然と「陰ほめ口」を悪用し、人の心を操る、ということです。
彼らは、第三者を介した伝聞という情報伝達のスタイルを駆使して、いくらでも、あなたの心を「間接コントロール」しようとするのです――(メルマガ『富田隆のお気楽心理学 https://www.mag2.com/m/0001685118』2023年7月8日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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