そうしたお互いに仲の悪い豪族同士を、ぜんぶまとめあげて中央朝廷の下に置く。そのための方法は、2つしかありません。
ひとつは、中国のように、武力で物理的に無理やり統一する、というものです。けれどその方法では遺恨が残り、せっかく統一しても、その国はすぐに崩壊するか、以後何百年と暴力テロが続くことになります。
もうひとつは文化による精神面での統一です。これには時間がかかります。けれど、日本が選択した道は、この道でした。
そのために行われたことは、大きく分けて3つあります。ひとつは、地方豪族の下にある民衆を味方に付けたこと。これが「すべての民は天皇のおほみたから」としたことです。これにより、究極の民主主義が実現するし、民に利が生まれます。
ふたつめは、災害対策です。天然の災害が起きたときには、誰もが困るものです。そのときに、中央から食料を支援する。そこから「恩を知るをもって人とは言う」という観念が生まれています。
みっつめが、神話の統一です。全国諸国の豪族たちは、それぞれに神話を持っていましたが、その神話では、イザナギとイザナミくらいの時代になると、ほぼほぼすべての豪族たちの神話が共通項になります。これは当然そうなります。人には男女があり、その男女の性別が生まれたときに関する神話は、むしろなければおかしいからです。
しかも我が国は、万年の単位で続く国ですから、おおもとの神話はひとつであったといえます。そうであれば、イザナギ、イザナミあたりから、全国に共通する神話を集大成することで、我が国共通の神話としてしまう。共通の神話を持つということは、共通の祖先を持つということにつながります。
そうであれば、本来は互いに親戚同士なのです。仲良くするのがあたりまえ、という概念が生まれるのです。
このみっつめの神話の統一は、バラバラな集団をひとつにまとめるときにも有益な方法といえます。表面上で対立することが多々あっても、根幹となる共通の神話を持つこと。それは会社や団体であれば、創業精神であったり、創業物語であったりするし、国であれば建国神話であったりします。
それらは、事実であるかどうかよりも、何を伝えようとしているのかが重要な要素となります。そしてその部分、つまりセンスでいう要(かなめ)持つことで、バラバラなものがひとつになるのです。
新しい、庶民のための国づくり。そのために必要なこと、つまり日本を取り戻すために必要なこと。それは、日本の「要(かなめ)」であるのではないでしょうか。
日本をかっこよく!
ではまた来週。
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