作家のような天賦の才がなくてもつかめる「うまい文章」を書くコツ

Woman,Intelligent,Content,Writer,Keyboarding,Promotional,Text,On,Laptop,Computer.
 

文章を読むのは好きでも、書くのは苦手という人は多くいます。中には、「うますぎる文章」に触れたために、自分には無理だと書くことを諦めてしまう人もいるかもしれません。しかし、諦めなければ自分なりの文章を書ける日はくるようです。今回のメルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』では、朝日新聞の校閲センター長を長く務め、ライティングセミナーを主宰する前田さんが、コンプレックスを抱くほど衝撃を受けた「うますぎる」作家と作品を紹介。新聞コラムを担当するにあたって、才能がないなりに気をつけていた書くコツを伝えています。

下手は下手なりに、文章の感覚をつかめた瞬間

文章がうまくなりたい。これは、僕がいつも思っていることです。でも「うまい文章」って何だろうと自問すると、それこそ、うまい答えが出てきません。でも、あるとき文章を書く時にまとっていた殻がスルッと取れた感覚を味わったことがあります。きょうは、その時のことを書こうと思います。

中一のときに、三島由紀夫の『仮面の告白』を読みました。三島作品はそれが初めてでした。ところが、数ページ読んで息苦しくなって本を閉じたのです。血管の中に得体の知れない「毒」が入り込んだように、神経がぞわぞわして読み進めることができませんでした。それでいて、妙に引き込まれる。本の世界に引きずり込まれてしまいそうな恐怖と興味が表裏一体となったような感覚にもなったのです。それからしばらくは、三島作品を読むことができませんでした。再度手に取ったのは、二十歳のときだったと思います。

「うまい」と思いました。裏付けされた教養の厚みと言えばいいのか、ことばの一つ一つに圧倒された感がありました。同時に、これは絶対真似できない、いや、真似をしてはいけないと思いました。「触れてはならない」と言った方が、正確かもしれません。

「行間」を読ませる『枕草子』

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

高校の時に『枕草子』を読んだときの衝撃は、忘れられません。「春はあけぼの」しか書いていない。「いとをかし」が省略されているだろうことはわかる。それにしても、あっさりし過ぎている。難しいことばもない。にもかかわらず、情景が広がる。古典なのに、僕にもわかる。これは、どういうことなんだろう。

この行間だらけの文章に、意表を突かれたのです。

劇作家で詩人の寺山修司にも、惹かれました。それまで僕が持っていた(とおぼしき)常識を片っ端からひっくり返されました。終盤まで優勢だったのに、最終版で一気に裏返されるオセロのような感覚です。あれよあれよという間に、価値観が崩れていく。それを寺山は、ことばで表現しました。大ぼらを吹いている方が、実は真実を物語っているという感覚を、自虐的にたたみかけるつかこうへいの芝居にも引き込まれました。

これらの作家が紡ぐ文章には、ことがば粒だって躍っていたように感じました。まさしく作家としての文章だったのだと思うのです。

この記事の著者・前田安正さんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • 作家のような天賦の才がなくてもつかめる「うまい文章」を書くコツ
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け