「語順で文章がわかりやすくなる」とは限らない日本語の悩ましさ

 

「母」は何をしたのか?

主語を表す助詞で考えてみます。主語を表す格助詞は「が」です。「が」と同じような役割として「は」という助詞を使うことがあります。しかし「は」は、主語を表す格助詞ではありません。いまは、文法として副助詞と呼ばれています。本書では「は」の役割・性質を表すために、係助詞と呼びます。

①母が食事をしているのを見ていると嬉しくなる。

この場合、食事をしているのは「母」です。その様子を見て嬉しくなっているのは、隠された主語の「私」です。ここで「私」が「見ていると嬉しくなる」の主語になり得るのは、日本語では、書き手が主語の場合には、省略しても成り立つことが共通理解になっているからです。

  • 深く眠った。
  • 朝早く起きた。

と書けば、その主語は書き手の「私」です。私以外の場合は、主語を明示しなくてはなりません。これは、日本語の暗黙のルールになっているからです。そのため①では「母が食事をしている」「(私は)見ていると嬉しくなる」という行為の主体がわかるのです。

「は」を侮るなかれ

ここに日本語の複雑さが潜んでいます。①を次のように変えてみます。

②母は食事をしているのを見ていると嬉しくなる。

「が」を「は」に変えただけです。こうすると、「見ていると嬉しくなる」のが「母」です。「母」が「食事をしている」のではありません。「母」以外の誰かです。子どもかもしれないし、お客さんかもしれません。

①の「母が」と、②の「母は」では、母の行為がちがってきます。整理します。
①母が⇒食事をしている
②母は⇒嬉しくなる

この違いは「が」と「は」のにあります。「が」は主語を表す格助詞です。これは直後の述語(述部)にのみ作用します。そのため①では「母が食事をしている」に作用します。一方、「は」は係助詞です。これは、遠い述語(述部)に作用するのです。②の場合は「母は嬉しくなる」に作用します。

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