主語と述語を近づければ、わかりやすくなる?
②の「母は」という主語を「嬉しくなる」に近づければ、こうした紛らわしさがなくなるのではないか、という考えもあります。
②−1食事をしているのを見ていると母は嬉しくなる。
という具合に、「母は嬉しくなる」とすると、この部分の主語と述語(述部)は、②よりはっきりします。ところが「食事をしているのを見ていると」の主語を明示しないと文が成り立ちません。たとえば、
③子どもたちが食事をしているのを見ていると母は嬉しくなる。
「子どもたちが食事をしている」「母は嬉しくなる」という形で対比させなくては、文が成り立たないのです。しかし、こうすると「子どもたちが食事をしている」のを「見ている」主体が曖昧です。
ⅰ.子どもたちが食事をしているのを見ている/と母は嬉しくなる。
ⅱ.子どもたちが食事をしている/のを見ていると母は嬉しくなる。
③を意味のかたまりで区切ると、二通りの分け方ができます。ⅰでは、「子どもたちが食事をしているのを見ている」という意味のかたまりが生まれます。すると、食事をしているのが子どもたちなのか、他の誰かなのかが判然としません。その様子に対して「母は嬉しくなる」という構図になります。そのため、②の解釈とは齟齬が生まれます。
ⅱは「子どもたちが食事をしている」「のを見ていると母は嬉しくなる」というかたまりになります。すると後半の「のを見ていると母は嬉しくなる」という部分が曖昧になります。「見ている」と「嬉しくなる」という述部の間に主体の「母」が挟まれているので、不安定な文になってしまうのです。
結局、文意は明確にならない?
つまり、「母は嬉しくなる」というふうに、主語と述語を近づけても、文意が明確にはならないのです。改めて②を引いてみます。──(メルマガ『前田安正の「マジ文アカデミー」』2023年7月25日号より一部抜粋、続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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