一方で、物リマインダーの場合は、単なる想起です。それも過去の出来事の想起にすぎません。つまり「昨日、あなたは英語の勉強をしていました」とか「あなたは英語の勉強をしようとしてこのノートを準備しましたよね」という具体的な事実が思い出されるだけです。そこには命令は含まれていません。当然、命令に対する嫌悪感も生じません。
一方で、それが命令でない分、行動の制約自体は弱くなります。昨日英語を勉強していた。で?という反応がありうるからです。多くの場合、「そうだ、今日も勉強しよう」という気持ちになるでしょうが、その成果が確約されるわけではありません。ぜんぜん無視されることもありうるわけです。
先ほどのリマインダーでは、意図したことの逆の効果が生まれてしまうことがあったわけですが、物リマインダーでは、意図が実現されない可能性があらかじめ含まれている反面、何かが行われるとしたらそれは命令ではなく、ある種の「自発によって」という効果が生じます。やはり、性質は大きく異なっているとみるべきでしょう。
タスクシュート
話が複雑になりすぎるので、ここでは簡単に言及するに留めますが、上記の視点を用いるとタスクシュートというツールの役割も違って見えてくるかもしれません。
タスクシュートというツールを、一日単位での分レベルでの行動のリマインダーとして捉えると、たいへん窮屈に思えるでしょう。それはそうです。なにせみっちりと「命令」が書き込まれているわけですから。
しかし、別の捉え方もできます。一日の自分の行動を情報化することで、代替的な物リマインダーとして扱っているのだ、と捉えるのです。つまり、「昨日のあなたはこれをしていました。さて、今日のあなたはどうしますか?」というメッセージを発しているものとして捉えるのです。
このように捉えれば、そこにある命令感は薄れ、かわりに自発感が一定量維持されるでしょう。これはこれで一つのうまいやり方であるように思えます。
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