創価学会のカリスマは「闇金」の元営業部長。池田大作名誉会長の隠された真実

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岸田文雄首相がX(旧Twitter)の公式アカウントで追悼の意を投稿したことが物議を醸すなど、国内外で大きな話題となった創価学会名誉会長・池田大作氏の死。学会における稀代のカリスマとされる池田氏ですが、その素顔はいかなるものだったのでしょうか。今回のメルマガ『ジャーナリスト伊東 森の新しい社会をデザインするニュースレター(有料版)』では著者の伊東さんが、さまざまな報道を引きつつ池田氏の「正体」を明らかにするとともに、創価学会がここまでの巨大組織に成長できた理由を探っています。

プロフィール伊東 森いとうしん
ジャーナリスト。物書き歴11年。精神疾患歴23年。「新しい社会をデザインする」をテーマに情報発信。1984年1月28日生まれ。幼少期を福岡県三潴郡大木町で過ごす。小学校時代から、福岡県大川市に居住。高校時代から、福岡市へ転居。高校時代から、うつ病を発症。うつ病のなか、高校、予備校を経て東洋大学社会学部社会学科へ2006年に入学。2010年卒業。その後、病気療養をしつつ、様々なWEB記事を執筆。大学時代の専攻は、メディア学、スポーツ社会学。2021年より、ジャーナリストとして本格的に活動。

池田大作は「闇金」営業部長で頭角を現した。日本最大の宗教団体「創価学会」が信者数を拡大できた理由

創価学会の池田大作(いけだ・だいさく)名誉会長が11月15日、老衰のため、東京都新宿区内の学会施設で死去した。95歳。東京都出身。近親者のみで家族葬が行われている。池田氏の死去は創価学会が11月18日に発表した。

11月23日に学会葬が行われ、後日に別途、お別れの会が開かれる。池田氏は、創価学会を国内有数の宗教団体に育て上げるとともに、公明党を設立、政界にも影響を与えた。公明党は、今後も池田氏が敷いた連立政権への参画路線を維持する。

池田氏は、少年時代に第二次世界大戦を経験。1947年、日蓮正宗の信徒団体であった創価学会に19歳で入会。戸田城聖第2代会長の下で激しい勧誘活動を展開する。

戸田氏の死後、1960年に池田氏は3代会長に就任。海外布教も展開し、1975年に創価学会インタナショナル(SGI)を結成。1979年に学会の会長を退任し、名誉会長となる。その後も、影響力を保持し続けるも、しかし近年は公の場に姿を見せることはほとんどなかった。

池田氏は、公明党の前身である「公明政治連盟」を1961年に設立、これを母体に、1964年、公明党を結成する。しかしながら政教分離の問題が取り沙汰され、その後は一線を画すも、現在も創価学会は公明党の支持母体である。

学会の会員は、日本では827万世帯、海外では280万人とされる(*1)。創価学会は、その教義や布教をめぐり日蓮正宗総本山の大石寺(静岡県)と対立。1991年には、創価学会とSGIが破門され、1992年には池田氏が信徒排除処分を受ける。

一方、池田氏は各国の指導者や文化人と対談を重ねる。モスクワ大学、北京大学など世界51カ国・地域の大学・学術機関から400を超える「名誉学術称号」が贈られている。著書に『人間革命』『二十一世紀への対話』などがある。池田氏は、富士短期大学(のちに廃止)卒。

目次

  • 「病・貧・争」のすべてを体験した池田大作
  • 「闇金」の営業部長としてメキメキと頭角を現す
  • 助けを必要とする人々の心の隙間を突いた創価学会

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