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昭和のテレビマンがブラック環境に耐えられた2つの理由

この問題をテレビ制作業界に従事して24年目のボク個人が感想を述べる際、まずその前にテレビ制作の現場の構造を説明しないといけません。

ざっと以下のような役割があります。

  • 総合演出・ディレクター(D)・プロデューサー(P)・アシスタントプロデューサー(AP)・アシスタントディレクター(AD)

テレビ番組のエンドロールでよく見ますよね。

エンドロールでは役割ごとにゴチャゴチャにひとくくりにされていますが、実は役割関係なく3種類の人間が存在します。この構造を理解するのが「働き方改革」の第一歩かなと。

  • テレビ局の局員
  • 下請け制作会社の人間
  • フリーランス

この3種類。

上記の説明をふまえて、なぜ昔(昭和)はブラック環境に耐えられたのか?

理由は2つあって、まずは「お金」。

ボクの場合で言うと、下請け制作会社の時は確か月収13万円とかだったかな。

で、ずっと月収変わらず3年で、あるゴールデン番組のチーフADになった。ADとAPで役割が違うけど、いわゆる犬島渚的な立場。

その時にフリーランスになった。すると月収が3~4倍になった。

で、「テレビの世界は凄いな」と思うと同時に、ボクは考えるわけです。

「このまま頑張ってDになったら番組を掛け持ちができる。そうなると、月収が番組の本数分、倍々ゲームになる」と。

そりゃあ若いですし、睡眠時間を度外視して働こうと思いますよね。要は潤沢なテレビ制作の予算があったということです。

悪い言い方をすると、昔のテレビ局は「札束で顔をはたきながら下請けに働かせられる」パワープレーができていた、が今はできない。

とはいえ、昨今テレビが弱ってきていると言いますが、そこまで弱っていないのではとボクは思っていて、現に映像を作る職種でいうと、テレビの予算はまだまだ大きな方で、問題の根幹は話が大きくなっちゃいますが、もっと大枠の構造問題だと思っています。

  • 番組を作ることが決まる→スポンサーが多額の広告料を出す→大手の広告代理店が1/3とる→テレビ局が1/3とる→1/3が制作費として我々の元におりてくる

その中から出演者へのギャラを払い、残りが実質使える制作費&人件費。

で、作った作品をスポンサーに見せると、こう言われる。

「あれだけ多額の費用を払ったのに、こんなものしか作れませんかね?」

と…。あくまでボク個人のイメージですけど。

もう1つは「夢」です。

上記で話した、「頑張れば大金が得られる」と思えたのも、当時ボクのテレビの世界のフリーランス界隈には、テレビ局員より大金を稼いで(当時かっこいいと思われた)派手な遊びをしている先輩がゴロゴロいました。今はそれがない。

「ない」と言ったらダメだな。昔よりかなり狭き状況にある(夢が持ちづらい)。

そして、犬島渚のように「自分の番組をいつかは持ちたい」という夢もありました。

しかし、「自分の番組」となるとDの上である「総合演出」や「プロデュース」という立場になるということを意味するのですが、現状、地上波のテレビ番組においてフリーランスや制作会社の立場で総合演出をはれる人は、本当に少なくなったように思います(昔はもっとゴロゴロいた)。

もちろん予算削減が叫ばれる中、テレビ局としては局外の人間より社員であるテレビ局員に、その役をやらせようとするのは当然。

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