伊集院光の話を聞いて考えた「事前の楽屋挨拶」の意味
で、ここまで来ると「じゃあテレビ局員になればいいじゃん!」と思うかもだけど、テレビ局員にはテレビ局内の局員同士の争いがあるわけで。
誰しも、テレビ局員になったとしても花形のバラエティ制作やドラマ制作に従事できるわけではない。
夢を持ってテレビ局に入ったが、不本意な部署に在籍させられている人はゴロゴロいます。
今の時代、その花形の制作部にいるテレビ局員でさえフリーに転職する時代ですから、当然と言えば当然なのかもしれません。
結論としては「テレビにおける働き方改革」は、抜本的な構造から見直さないといけないのだと思っています。
で、もう一つ触れておきたいことがあって、芸人さん役で蛙亭の中野さんが収録前に先輩の楽屋挨拶をおこなうシーン。
経験ある犬島渚は中野さんに助言します。
「片方の先輩は楽屋挨拶NG、もう片方の先輩は必ず挨拶するように」
と。いわゆる伝統あるテレビ業界のしきたりみたいなことです。
ボクの経験肌感で「事前の楽屋挨拶」というしきたりは、くりぃむしちゅーのお二人や有吉弘行さんがMCをやるようになった時代ぐらいから「やらなくてよいもの」になった印象。
でも、いまだに事前の楽屋挨拶は存在しています。
先輩が「楽屋挨拶はナシ」と言っていても、楽屋挨拶に行くタレントさんはいるし、行かせるマネジャーさんはいます。
ボク個人としては「収録前の楽屋挨拶はなくて良いもの」であるし、世間の感想もそっちが大半でしょう。
ですが「ではなぜ、いまだに楽屋挨拶へ行くのか?」ということを考えてみることは大事なのではないかと思います。
この考えに至ったのは、ある番組打ち合わせで伊集院光さんのお話を聞いてから、その番組のテーマは「伝統ある世界で新たな試みをしたときに起こる摩擦」みたいなことで、伊集院さん自身、落語界からラジオ・テレビと活躍の場を広げた経歴を持っている。
そんな伝統ある世界で揉まれた伊集院さんが言われたことは、
「今まで伝統ある世界でやっていなかったことには、やっていなかった理由も存在する」
という事です。
令和の時代では煙たがられる「伝統のしきたり」みたいなことにも、必ず裏には明確な理由や意味が存在するということです。
なので、劇中シーン「収録前の楽屋挨拶」、なぜしきたりとして残っているのか?それを考えてみることが大事。
簡潔にいうと、「事前に顔を合わせておいた方が、本番のコミュニケーションが円滑に運べる場合が多い」から。
「若手からしたらMCの方に名前と顔を覚えてもらった方が話をふられやすい」から、ということが言えると思います。
なので、本番で大御所の方に強くいける芸人さんとか、毒舌が売りで失礼なイメージが強い人であればあるほど、実は楽屋挨拶に必ず行っていたりする。
さらには、楽屋挨拶で事前に軽く毒舌を吐いてフリ(毒舌への免疫)まで作っていく人もいます。
要は、おもしろいものを撮るための本番までのフィールドワークです。
そんな、楽屋で行われている攻防を知りながら、その後の本番でおもしろくなった状況に出くわすと、安直に「今の時代は楽屋挨拶ナシ」を全体ルールにしてしまうのは間違っているのでは?と思ったりするわけです。
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