巌流島に行かず武蔵を作り吉良邸から泉岳寺を歩かず忠臣蔵を語る三流

ganryu
 

「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、ビジネスの場においても「実際に足を運ぶ」ことが大きいと言うのは無料メルマガ『ビジネス発想源』の著者・弘中勝さん。巌流島や忠臣蔵を巡るエピソードを交えながらわかりやすく解説してくださっています。

まず行く行動力

私の生まれ育った場所は、福岡県北九州市の門司港という場所で、山口県下関市と関門海峡を挟んだ場所にある、九州の玄関口とも言える場所です。

この関門海峡には、多くの日本人がよく知る、とても有名な歴史的な場所があります。それは、「巌流島」です。宮本武蔵と佐々木小次郎という2人の剣豪が決闘した場所として有名ですよね。

この武蔵と小次郎の巌流島での対決、何度もテレビドラマや漫画などで題材として取り上げられていますので、私も地元愛から気になってよく見るのですが、大抵は首を傾げる羽目になります。「この作者巌流島に来たことないだろ?」と思ってしまうのです。

というのは、巌流島というのは幅の狭い関門海峡の中にある島なのですが、大抵のドラマや漫画などでは、八丈島あたりの離島のような島なのです。

狭い海峡の中にあるから、巌流島はどんな位置からどんな角度で見ても必ず対岸の陸地が近くに見えるのですが、ドラマや漫画などでは、なぜか水平線が広がっていて遠くのほうから遅れてきた武蔵が小舟でやってきます。

すごく遠くから小舟を漕いでいて、夜明けと共に朝日の中から小さな島が見えてくる、みたいな演出をしている作品が多くて、恐らく朝鮮半島から竹島とかに向かってるんじゃないか、という感じがするんですね。

NHK大河ドラマで「武蔵 MUSASHI」が放送された時、さすがに時代考証に厳しいNHKは大丈夫だろう、と思って巌流島のシーンを楽しみにしてましたが、熊本県の天草あたりの砂浜でロケをしているから、やっぱり海岸線が広がっていて全く違ってました。

もちろん「そっちのほうが画になるから」という演出家のセンスもあるのでしょうが、小倉藩との絡みなど歴史的な背景も考えたら、そんな離島は意味ないでしょ……、と思うわけです。行ってみれば、間違いなくそれがわかるのにな……、と思ってしまいます。

恐らく武蔵関連の作品の制作者は、過去の武蔵関連の作品のイメージを引きずっていて、現地に行っていないか、行っても軽視しているか、ということなのでしょう。

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