なぜ最後に勝つのはヒーローじゃなくて「平凡な人」なのか?

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今、話題のTVドラマ『リバース』の主人公で藤原竜也さん演じる深瀬和久が、「何の取り柄もない平凡な自分」に苛立つ姿に共感した人も多いでしょう。しかし、平凡であるということは本当に「取り柄がない」とイコールなのでしょうか? 今回の無料メルマガ『人間をとことん考える(人間論)』では、著者で薬剤師の小原一将さんが、「平凡な人間の重要な生き方」について考察しています。

人より優れていないと思えることが優れている唯一の点である

薬剤師という職種で勤務しているためか、勉強ができるとか頭が賢いとか思われていることがある。賢ければ医者になってますよと返すのだが、それでも賢い人はいいねとこちらの話を聞いてくれない。

私は平凡が好きだった。いわゆる「普通」というものを守るために必死だった。目立たず騒がず、遅れず劣らず。相応に、人並みに生きていくことが自分であると思っていた。もともと医者になりたかったために、勉強はそこまで嫌に思わずにしてきた。それでも才能があったわけではないためにあまり成績が良くなかった。部活もそこそこやっていたが、特段うまいわけではなく、地方の大会でみんなと1試合くらい勝って喜ぶくらいだった。

あることがきっかけで全く考えが変わるのだが、それはさておき、私は何の才能もないことにいつの日か気付いた
150キロのボールを投げられるわけではなく、絵は下手で音感もない。幸いにも身体に大きな不調はないが、中肉中背で緊張する場面になると腹痛に襲われるというスペックだ。なので、私はだれかより優れていると思ったことはない

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